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(第20回)インディー・ガール・ポップの先駆け、タルーラ・ゴッシュ/ヘヴンリィ

連載
岡村詩野のガール・ポップ今昔裏街道
公開
2014/01/29   14:00
更新
2014/01/29   14:00
テキスト
文/岡村詩野


OkamuraShino4_20



ライター・岡村詩野が、時代を経てジワジワとその影響を根付かせていった(いくであろう)女性アーティストにフォーカスした連載! 第20回は、オリジナル・アノラック・バンドのひとつであり、インディー・ガール・ポップの元祖的存在であるタルーラ・ゴッシュ/ヘヴンリィ



先頃、ヴィヴィアン・ガールズの解散が発表されました。うーん、残念! 2007年にブルックリンで結成された彼女たちは、ハイブリッドな新世代が多く存在するかの地において、シンプルでジャングリーなギター・バンドとして貴重な存在でした。来日公演で見せてくれたキュートでお茶目で、でも可愛いだけで許されることを嫌うかのように演奏もしっかりとしていて――解散の正確な理由はわかりませんが、やや飽和しかかっていた2000年代後半のブルックリンに新しい風を吹き込んでくれたメンバーそれぞれの活躍を楽しみにしていたいと思います。ヴァレンタイン・デーである2月14日にLAで、そして3月1、2日は地元NYで最後のライヴを行うそうですので、海外にいる方はぜひ足を運んでみてください。

ヴィヴィアン・ガールズはほとんどギミックなしに、ちょっとノイジーだけどグッド・メロディーとグッド・ハーモニーを聴かせる連中だったわけですが、こうしたギター・ポップは、80年代にパステルズやヴァセリンズ、ボーイ・ヘアドレッサーズ(後のティーンエイジ・ファンクラブ)など主にスコットランドはグラスゴー周辺のバンドたちが〈アノラック・サウンド〉というひとつのスタイルに結実させたようなところがあります。もちろん、もっと遡ればヤング・マーブル・ジャイアンツ、オレンジ・ジュース、トレイシー・ソーンによるマリン・ガールズなどニューウェイヴ第1世代に辿り着くのですが……そんな講釈はさておき。そうしたオリジナル・アノラック・バンドのなかでも、もっともキュートで愛すべき存在だったのがタルーラ・ゴッシュだったんじゃないかと思うのです。

そういえば、筆者が昨年bounceで日本の若手バンド、Homecomingsにインタヴューをした時も、ロケットシップやペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートなどと共にヴィヴィアン・ガールズが大好きで、そこから遡ってオリジナル・ギター・ポップやアノラック・サウンドに辿り着いたんだと話してくれました。彼らのギター・ポップはしっかりと歴史を辿ったところに根差しているのです。

さて、言わばインディー・ガールズ・ギター・ポップの草分けとも言えるそのタルーラ・ゴッシュは、後にUKはブリストルに拠点を置くインディー・レーベル、サラ・レコーズの看板バンドとして活躍することになるヘヴンリィ(現在は解散)の前身バンドとして知られています。ショートカットとミニスカートがとてもよく似合うリーダーのアメリア・フレッチャーと弟のマシュー・フレッチャーを中心に86年にオックスフォードで結成。正式なフル・アルバムこそ活動中に発表されることはなかったし、決して大きな話題を呼んだりビッグ・ヒットを放ったわけではなかったものの、パステルズのスティーヴン・パステルが関わっていたレーベル、53rd & 3rdから5枚の優れたシングルをリリースし、そのパステルズやヴァセリンズなどを生んだスコットランドや、ニルヴァーナやビート・ハプニングなどを送り出したUS西海岸周辺のシーンとも連動していました。なお、タルーラ・ゴッシュの音源は現在コンピ『Was It Just A Dream?』(かつてKから出ていたコンピ『Backwash』にデモなどを追加した決定版)で聴くことができます。

バンド解散後、アメリアとマシューは新たにヘヴンリィを結成し、92年にサラからファースト・アルバム『Le Jardin De Heavenly』(邦題〈天国の庭〉)をリリース。当時、日本ではPARCOがサラの作品をしっかりバックアップしていましたが、なかでもヘヴンリィはアメリアの愛らしい雰囲気も手伝って日本で人気を集めたものです。来日公演で見せた温かくもパッション溢れるステージは、タルーラ・ゴッシュ時代から引き継がれたアメリアたちのポップ哲学をしっかりと伝えるものでした。

筆者もこのヘヴンリィやブルーボーイといったサラ所属の多くのバンド、そしてレーベル・オーナーのクレア・ヘインズとマット・ウォッドの2人に当時はインタヴューしたのですが、当時の彼らの心意気というのは、いい歌、いいメロディーを伝えることはもちろん、何より大事にしていたのが〈手作り〉であることでした。後にCDでリリースするようにもなりますが、当初は作品を7インチ・シングルで発表。簡単に作られたジャケットの中にはオーナー2人による〈サラ通信〉やポスターなどが封入されたりしていたりも。現在こそふたたび7インチ・シングルやカセットが見直されている風潮もありますが、サラはちょうど時代がCDに切り替わる時期に、ハンドメイドなアナログにこだわり続けたレーベルだったのです。

「だって僕らの好きな音楽だもの。手から手へと届けたいじゃないか。届けるスピードは遅くなるかもしれないけど、絶対に鮮度は失われないもの」。

というようなことを、当時レーベル・オーナーのマットは話してくれましたが、同時にアメリアはこんな発言もしてくれています。

「こう見えて私たちってパンクに影響を受けているの。パンクって音楽のジャンルでもあるけど、自分たちの手で鳴らすって意味でもあるでしょ? 可愛いだけじゃない。私たちがやっていることって結構頑固なDIY作業なのよ」。

ヘヴンリィの来日公演はいま思い出しても粗削りでエネルギッシュな側面が人懐っこいメロディーから溢れ出てくるような、意外に無骨なパフォーマンスでした。言ってみれば、ラモーンズのようなライヴだったと言ってもいいかもしれません。思えばタルーラ・ゴッシュがシングルを出していた53rd & 3rdというレーベルの名前はラモーンズの曲名から取られたもの。このインディー・ガール・ポップの元祖的バンドの哲学は、頑固で屈強なスピリットだったのかもしれません。そういえば、あの頃、ほぼ同時期に、サラと同じく熱心なファンを抱えるラ・ディ・ダやサブウェイなどのレーベルも日本で紹介されるようになり、またヴェルヴェット・クラッシュ、ハウ・メニー・ビーンズ・メイク・ファイヴ、ヒット・パレード、ヴァセリンズから発展したユージニアス、グルーヴィー・リトル・ナンバーズを前身とするスーパースターなど数多くのギター・ポップ系バンドが来日したものでした。当時、日本はちょっとしたギタポ天国と化したわけですが、筆者も含めてこうした音楽に惹かれていた当時のリスナーは、もしかすると何かにこだわり続けていくことの大切さ、手作りで伝えていくことの豊かさをどこかで求め、それこそがパンクだと認識していたのかもしれないですね。

さて、タルーラ・ゴッシュ~ヘヴンリィとキャリアを重ねていたアメリアたちでしたが、弟マシューの悲しい自殺もあって残念ながらバンドはふたたび解散。けれどその後マリン・リサーチ、そしてテンダー・トラップへと活動の場を移し、アメリアはいまなお現役です。そんな彼女たちの活動をもっと知ることができるフィルムが公開されることになりました。タイトルは「My Secret World -The Story Of Sarah Records」。これはサラの軌跡をさまざまなバンドや関係者たちのコメントなども交えて追ったドキュメンタリー映画。ようやく本作のトレイラーが公開されたばかりなので具体的なことはまだわからないですが、日本での公開も実現するといいですね。

あ、ついでに個人的なこともひとつ。ちょっと先になりますが、3月26日(水)に、京都の恵文社一乗寺店に誕生したイヴェント・スペース〈COTTAGE〉で、〈ギター・ポップにまつわるエトセトラ〉として恵文社一乗寺店の店主である堀部篤史さんと私・岡村でギタポ・トーク&レコード・コンサートを開催します。春休み期間ですので、ぜひとも気軽にお越しください。



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