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第14回 ─ シカゴの薫り、ヴィー・ジェイ

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2006/04/27   18:00
更新
2006/04/27   19:28
ソース
『bounce』 275号(2006/4/25)
テキスト
文/林 剛

〈リズム&ブルース〉から〈ソウル〉へ……変革の時代を体現したレーベル

シカゴ・ソウルのレーベルとしては、本連載でもブランズウィックとカートムを紹介したが、それらの先輩格にあたるのが今回のヴィー・ジェイ(以下VJ)だ。レコード・ショップを経営していたジミー・ブラッケンとヴィヴィアン・カーターの夫妻によって53年に設立。ブルース、ドゥワップ、ゴスペル、リズム&ブルース~ソウル、ジャズなどを幅広く扱い、シカゴを拠点に50~60年代のリズム&ブルース・シーンを賑わせたチェスとも並び称される、名門中の名門である。ただ、チェスと違ったのはVJが黒人資本のレーベルだったことで、そういう意味でVJはモータウンに先駆けたビッグ・カンパニーだと言えるだろう(実際、55年から運営に加わったイワート・アブナーは70年代にモータウンの社長に就任)。スパニエルズ、デルズ、インプレッションズ、ジェリー・バトラーらのドゥワップ~ソウル、ジミー・リードらのブルース、ステイプル・シンガーズらのゴスペル、エディ・ハリスらのジャズ……と、台頭してきたロックンロールを横目で見ながら多彩に発展を遂げたVJ。ジーン・チャンドラーの“The Duke Of Earl”が大ヒットした60年代前半にはフォー・シーズンズを獲得し、実はビートルズをアメリカで最初に送り出したのもこのVJだった(63年にUS盤の“Please Please Me”をリリース)。66年には金銭的なトラブルで倒産してしまうが、黒人音楽のグルーヴを損なうことなくポップで開放感のある楽曲を生み出したVJの魅力は、半世紀近く経った現在においてもまったく色褪せていない。〈ソウル時代〉の夜明けを告げたVJ──その陽はまだ沈んでいないのだ。

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