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第74回 ─ アーティストとしての悩みを抱えつつ、我が道を行くベック

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2006/11/02   12:00
更新
2006/11/02   21:51
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、いっそう深みを増したポップ・ワールドが展開するアルバム『The Information』をリリースしたベックについて。

Beck 『The Information』

  この連載の第33回でベックの前作『Guero』について〈ポップなアルバムと内省的なアルバムを交互にリリースするという、今までのスタイルの終焉を予感させるアルバムである〉と書いていたのですが、新作『The Information』は見事にそうなりました。これまで通りにいくと、新作は『Mutations』、『Sea Change』に続くフォーキーなアルバムになるはずでしたが、『The Information』は『Odelay』、『Midnight Vultures』、『Guero』に続くポップなアルバムと言えるでしょう。残念だったのは、次のベックのアルバムは究極のポップ・スターになるか、もしくはジュリアン・コープのような内省的な作品になるかどちらかだという予想が外れ、『The Information』が上に書いたことを足しで2で割ったような作品となったことです。

  レディオヘッドと同じく、ナイジェル・ゴドリッチがプロデューサーを務めているらかもしれませんが、ぼくは『The Information』というポップで内省的な作品が、トム・ヨークが次のレディオヘッドで考えているものと同じ方向性を持っているのではないかと感じました。ポップで内省的と言葉で書くのは簡単ですが、作品にするのは大変なことです。『OK Computer』以降、内へ内へと突き進んでいったレディオヘッドにどこかで意図的な揺り戻しをかけなければいけない、それをどのような形で揺り戻すかをトム・ヨークは悩んでいるのではないでしょうか。だからレデイオヘッドは新作を作る前にツアーに出て、トム・ヨークはソロを出したんだと思います。

  で、『The Information』なんですが、かっこいいアルバムですよね。『Midnight Vultures』、『Guero』を聴き直して思うのですが、全曲かっこいいんです。ファンキーなブレイクに斬新な音、全然古くさく感じない。そして『Mutations』、『Sea Change』は今聴き直しても体の中がゾクゾクとし、目頭が熱くなります。『The Information』は見事にその両方が混ざっているんですよね。特に後半は凄い。

  と、こんだけ褒めたので、ベックの一番の問題点を書かせてもらいます。それは〈何も言ってない〉ということなんです。ベックくらい偉大なアーティストになると、ジョン・レノンのように“女は世界の奴隷か”とか“Working Class Hero”、ボノの“One”、もしくはトム・ヨークみたいに衝撃の発言、問題作をどんどん発表していかないといけないという雰囲気がどうしても出てくるんです。それこそがアーティストの条件と言うか何と言うか。唯一“Loser”ではベックが自分の本当の気持ちを歌っていたと思うのですが、どうでしょう。

  今世紀最大のカメラマン、リチャード・アベドンはダイアン・アーバスというカメラマンのお葬式で〈最後までダイアン・アーバスに勝てなかった。ぼくはダイアン・アーバスに成りたかった〉と言うのですが、この発言とベックの状況は似ています。街にいるフリークスを撮ったダイアン・アーバスの作品群は今の写真の流れを作ったと言ってもいいくらい画期的なもので、同時にそれらの写真には狂気がある。リチャード・アベドンはこの狂気を自分の作品に求めたけど、ぼくの写真はいつもファッション写真だと悩んでいたんです。ベックもリチャード・アベドンのように悩んで、ポップなアルバムとフォーキーなアルバムを交互に出したりしてきたのだろうと思います。ジョン・レノンもトム・ヨークも狂気を含んでいる。そこにぼくたちはなにか心揺さぶられるというか、そういう人たちをぼくたちはアーティストとして認識するんです。

  ベックは頭がいいので自分のことをよくわかっています。今作一曲目“Elevator Music”でベックは〈エレベーター・ミュージックをかけてくれ、俺をもといた場所に連れ戻してくれ〉と歌います。エレベーター・ミュージックとは70年代とか80年代初頭にアメリカのエレベーターや病院、スーパーマーケットなどでかかっていた人畜無害の音楽ですが、ヨーロッパ人であるスペシャルズのジェリー・ダラーズやブライアン・イーノはそれに衝撃を受けて、それぞれラウンジ・ミュージック、環境音楽、アンビエントという音楽を生みだしました。ベックも自分の音楽がそういう音楽だと言っているんじゃないでしょうか。でも、ベックはサビのオチでちょっと皮肉をいれて、〈自分のことを忘れることが出来たら、もっとしゃべれるウソを見つけられたら、売れるような魂があったなら、そんなヒマがあったら自分の脳みそに語りかけるよ〉と歌います。俺は俺のままだからとやかく言ってくれるなと。

 『The Information』ではベックお得意の言葉遊びは少なくなってきています。『Mutations』、『Sea Change』とは違った形で正直に自分の気持ちを歌に出していますが、それを自分の作品の中でどう昇華さすかはまだ悩んでいるのではないでしょうか。でもそんなことを書くと、ベックの〈ほっといてくれよ〉というという声が聴こえてきそうです。アーティストの発言に意味を考えてくれるなと。それにたいした意味はない。まさに『The Information』のアルバム・ジャケットのように、ソウル・ショー化したベックのライブのように、みんなが好きに楽しんでくれと。『The Information』はそういうアルバムでもあります。