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第75回 ─ ロックで何かを変えれると信じ続ける、フーの新作

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2006/11/15   16:00
更新
2006/11/16   18:17
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、24年ぶりの新作『Endless Wire』をリリースしたフーについて。

The Who 『Endless Wire』

  フーの24年振りの新作がついに出た!といってもジョン・エントウィスルが2年前に亡くなっていなければ、もっと早く完成していたのかもしれないが、とにかくピートとロジャーが2人で作り上げたフーの新作だ。

  フレーミング・リップスのウェインはバンドの歴史総括的DVD「Fearless Freaks」で、自分がバンドを始めたきっかけにフーのライブを挙げ、〈フーのロックの力を信じているとしか思えない演奏に感動した〉と言っていた。フーは元々僕の一番好きなバンドだったが、ウェインの言葉を聞いて初めて、自分がなぜフーを好きなのか納得できた。ピートは本当にロックで何かを変えれると信じているように見え、ぼくもそれを見て、やっぱりロックで何か変えれるような気がしてくるのだ。〈初期のフーは“My Generation”をやって、ギターを壊せば客はそれで満足だった、それがフーだった〉とピートは言っている。しかし、1971年に『Who's Next』を発表して以降は“Baba O'Riley”“Behind Blue Eyes”“Won't Get Fooled Again(邦題:無法の世界)”さえやればフーだと、誰もが納得するようになった。『Who's Next』はそれほど凄い作品だったのだ。

  しかし、実は『Who's Next』はピートがロック・オペラの傑作『Tommy』の次に考えた近未来SFチックなロック・オペラ「Life House」の残骸だった。それは社会が全体主義に傾き音楽が禁止された近未来、ロックという音楽の記憶を手に入れることで、世界を変えるこようとする話だ。そしてピートは本気で夢想した。自分たちの芝居、演奏を見た若者たちが、本当に町に出て、革命に走ることを。実際に3回ほど芝居小屋でライブを行ったのだが、もちろん革命なんか起こるわけがなかった。同時期にピートに長年連れ添ったキット・ランバートがマネジャー業を離れることもあり、「Life House」は暗礁に乗り上げてしまう。

  そして、あまりにもいい曲があってお蔵入りにするのはおしいからと、普通のアルバムとして再び録音された作品が『Who's Next』だ。フーの最高傑作だが、ピートにとっては挫折したアルバムであり、彼はこの作品が大嫌いだった。しかし、たとえそんな残骸でも、『Who's Next』にはロックで革命を起こすというピートの夢が、マジックが残っているのだ。これこそがフレーミング・リップスのウェインがいった〈ロックの力を信じているとしか思えない演奏〉の正体であり、『Who's Next』が史上最高のロック・アルバムと位置づけられた理由なのだ。

  『Who's Next』後、セックス・ピストルズの登場でピートとしては〈お前らに任せたぞ〉という気持ちになっていたのだろう。しかし、スピーク・イージーというクラブでセックス・ピストルズに偶然出会ったとき、〈ロックの未来はお前らだ〉と酔っ払って喋りに行ったピートは完全に無視される。彼は腹が立ってやけ酒を飲んで、路上で寝込んでしまい、翌朝警察官に起こされることになる……この出来事が曲になったのが“Who Are You”だ。その後のフーは、お前らロックを作ってきた俺たちにリスペクトしろよ、リスペクトしないのなら本物の姿をみせてやるぜ、ぶちのめしてやるぜこの野郎、という怒りがバンドの原動力となっていたのではないだろうか。それでも最後は『It's Hard』(辛いよ)というアルバムを出し、クラッシュに完全にライブで負けているということも自覚して活動を停止する。

  ピートはバンドの栄光の歴史をいつまでも輝かしておくために、フーの曲をCMや映画に貸し出すことを許可していなかった。しかし近年は映画「アメリカン・ビューティ」など、映画やCMにフーの曲が貸し出されるようになり、往年のファンからフーを知らない世代まで、彼らの再評価の機運が高まった。そして新作『Endless Wire』である。『It's Hard』より、『Face Dances』より、確実に弱いかもしれない。それでもフーの作品なのだ。「Life House」で問いかけようとしたこと、『Who Are You』で問いかけたことを、ピートは1曲目“Fragments”でまた問いかけている。〈息を吐いているのか、吸っているのか/命に別れを告げるのか、新たに動きだすのか/俺たちは一部なのか、全部なのか、精神なのか/一つ確かなこと、それは俺の一部は/君の一部〉。感動するじゃないか。これからのフーは自分たちの功績を振り返りながら、死ぬ時に思うことを歌にしていこうとしているんだろう。今は弱々しく思えるこの歌も、これまでのフーがそうだったように、10年後に違った意味を持って輝きだすかもしれない。

  フーがこれからどうなっていくのか、ぼくは気になって仕方がない。『Endless Wire』という言葉のようにに一生終わらず回っていくような気がする。もしくはピートが来日時のMCで〈初めての日本だが2人で来た気がしない、4人で来ているような気がする、今この会場にジョンもキースもいるように感じる〉と言ったように、永遠とぼくたちの上に存在し続ける神のような存在になるのかもしれない。そして、バカな長老が若者たちに〈昔フーという音楽があってな、それを手にしたものは、世の中を変えることが出来るんだよ〉と囁くのだ。