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第20回 ─ 栄光のアトランティック(その1)

第20回 ─ 栄光のアトランティック(その1)(3)

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2007/03/01   18:00
更新
2007/03/01   18:04
ソース
『bounce』 284号(2007/2/25)
テキスト
文/林 剛

サザン・ソウルに活路を見い出す

 55年にはちょっとした転機が訪れる。アーメットの兄ネスヒがジャズ部門を仕切りはじめる一方、軍隊から帰還したハーブは傘下レーベルのアトコをスタートさせ、白人歌手のボビー・ダーリンらを送り出すことになったのだ。さらにアトランティックはジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのスパンクを傘下に置き、リーバー&ストーラーを作家としても抱え込む。このチームの恩恵を受け、ポップなリズム&ブルース曲を次々と放っていったのがコースターズやドリフターズ、ベンE・キングだった。と同時にレイ・チャールズは革新的な楽曲で同社の看板を背負っていくが、60年代に入るとその〈天才〉はアトランティックを離脱。その頃からアーティガンは、社内の主力を白人アーティストに移していくようになる。

 そんなアーティガンに対し、ウェクスラーは黒い音にこだわり続けた。メンフィスでカーラ・トーマスの“Cause I Love You”が流行っていることを知り、全国配給をする契約を申し出たのだ。60~70年代を代表するソウル・レーベル、スタックスの獲得である。こうしてサム&デイヴやオーティス・レディングといった南部のアーティストを送り出したアトランティックは、モータウンと並ぶソウル・レーベルへと躍進していく(スタックスについては今後の連載で紹介予定)。また、ビートルズ旋風のなかでウェクスラーはソロモン・バークやウィルソン・ピケットらにヒットをもたらし、会社は経営難を逃れたという。そしてウェクスラーは、この頃から社内アーティストに〈メンフィス詣で〉をさせ、もっと南のマッスル・ショールズ~フェイム・スタジオにも着目。そこのミュージシャンの手を借りたのがパーシー・スレッジやアーサー・コンレイであり、コロムビアから移籍してきたアレサ・フランクリンであった。だが一方で、67年には会社がワーナーに買収され、親会社の意向もあってスタックスを手放すことになる。ウェクスラーもフロリダに移住し、白人ロックの波に呑まれて変容していく社内だったが……しかし70年代に入ると、アトランティックはふたたび新しいソウルの道を開拓していくのだった。
【次号に続く】