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第130回 ─ 反ヒッピー的な物語を再現するルー・リード『Berlin』のライヴ盤

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2009/01/22   14:00
更新
2009/01/22   19:05
テキスト
文/久保 憲司

 「NME」「MELODY MARKER」「Rockin' on」「CROSSBEAT」など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、1973年に発表されたルー・リードのソロ3作目『Berlin』を完全再現したライヴ盤『Berlin: Live At St. Ann's Warehouse』について。

  全然英語も分からなかったのに、なぜか惹き付けられていたルー・リードのソロ3作目『Berlin』が何と、ライヴで始めから終わりまで完全に演奏され、さらにそれが録音され発売された。イギリスなんかでは、ストゥージズが『Fun House』の曲を全部やるなどといった企画がここ数年盛んだったが、このアルバムは、『Berlin』が永遠のフェイヴァリットだと言う現代美術家/映画監督のジュリアン・シュナーベルが率先してこの一大プロジェクトを進めることで、完成した。

  ほとんど、ザ・フーが『Tommy』や『Quadrophenia(四重人格)』を再現するような感じです。ザ・フー『Live At Leeds』のデラックス盤で聴ける『Tommy』のライヴ完全再現とか聴くと、本当に感動するんですよね。ロック・オペラの短い版みたいな“A Quick One, While He's Away”なんかも、ただの間男の話なんですけど感動します。この『Berlin: Live At St. Ann's Warehouse』は聴き始めたばっかりでまだ自分には馴染んでないんですが、じわじわと来るような気がします。このライヴのDVD「ベルリン」も発売されているので、そちらも見ながら、感動を増幅させたいと思います。

  ルー・リードが『Berlin』で作りあげようとしたのは、ライナーノーツで大鷹俊一さんが書いておられるように、〈音で見る映画〉だったそうです。その実現に選んだパートナーが、アリス・クーパーの名コンセプト・アルバム『School's Out』(これ、本当に名盤です。パンクにも多大な影響を与えています)をプロデュースしたボブ・エズリン(後にピンク・フロイドの『The Wall』もプロデュース)。そして、ジャック・ブルース、スティーヴ・ウィンウッド、このライヴ盤でもギターを弾いているスティーヴ・ハンターなどの錚々たるメンバーを迎えました。70年代にスティーヴ・ハンターとルー・リードが一緒にやっている時は「なんでハード・ロックやねん」と大嫌いだったんですが、いまとなっては、その音が耳にこびりついているんですよね。だから、今回のライヴ盤のアンコールで演奏される“Sweet Jane”では、『Berlin』の翌年に出た名ライヴ盤『Rock 'N' Roll Animal』で“Sweet Jane”が始まる前に、ルー・リードを呼び込むために弾いていた仰々しいギター・プレイをやってくれたらよかったのにと思いました。『Rock 'N' Roll Animal』のあのギターは、「ルー・リードが何でこれ??」と笑いますよ。みなさん必聴です。

 ルー・リードって結構こういうテクニシャン系のプレイが好きなんですよね。自分のギターも、何故かいつもテクニシャン系のプレイヤーが使うものだし、エフェクト・ボードもピート・コーニッシュだし。ぼく的には、ルー・リードはヴィンテージ・ギターをヴィンテージ・アンプに直結しているのがかっこいいと思うんだけど、何故かいつもNYの一流セッションマンみたいなセットなんだよな。本当に変わった人だ。

  と、話が横道にそれましたが、オリジナル『Berlin』は、当時の一流どころを揃えて録音された凄いアルバムでした。社会主義国のなかに南海の孤島のようにポツンと残っている特殊な街、ベルリン。しかもそれは、ヨーロッパ最大の退廃の街だった。そのなかで繰り広げられる男女の物語。後にデヴィッド・ボウイも憧れた退廃の極致。それが、当時子供だったぼくにもひしひしと伝わってくる凄いアルバムだった。ルキノ・ヴィスコンティの世界を音で再現しているような、超高級な音のアルバム。前作『Transformer』が売れたから好きに出来たという感じなのかもしれないが、ルー・リードがこのアルバムにかけた思いというのは並大抵じゃなかったと思う。主人公の女性が亡くなったと告げる“The Bed”を録り終えた時、ルー・リードとボブ・エズリンは涙したそうだ。

 『Berlin』で描かれているのが具体的にどういう物語かというと、ベルリンの街で男女が出会ってから別れるまでの話。これはいま思うと、「ジョンとメリー」(バーで出会った男女の24時間のラヴストーリー。子供の頃はぼくも憧れました。いまも憧れるけど、恥ずかしい)や、美しい恋と別れだけを描いた「ある愛の詩」(アリ・マッグローが美しかった。ぼくの子供の頃の夢はライアン・オニールと彼女のようにセントラル・パークでアイス・スケートをすることでした。恥ずかしい)みたいな、ヒッピー時代に流行った映画に対するアンチテーゼだったのかなと思う。「ある愛の詩」の最後の名セリフ「愛とは決して後悔しないこと」なんて、ヘドが出そうだもんな。こんな日本の月9ドラマでしか言わないようなことを、70年代のハリウッドは平気で言っていたんだから呆れる。

 『Berlin』は、そんなのとは完全に反対の世界を描いている。ベルリンで出会った2人はジャンキーになって、子供を養育不能と取り上げられ、彼女は2人が愛し合ったベッドで手首を切って、亡くなる。そう、後にナン・ゴールディンが写真に収める世界。そして、ルー・リードがずっと言っていた「小説の世界ではホモだの、SMだの、ヘロインだのといった世界を何十年も前から取り上げているのに、ロックンロールの世界では、いまだに恋がどうしたとか歌っているんだ。ロックンロールはそんな世界よりも何十年も遅れているんだ。だから俺の音楽は小説の世界に追いつくようなものにしたい」といったようなことが歌われている。

 とっても悲しいお話かもしれない。でも、ぼくたちはなぜか惹き付けられてしまう。それは一見、ぼくたちと全然関係ない世界に感じられるかもしれないが、実際は、ぼくたちの誰の心にもある闇の世界の姿であり、鏡の向こうを見ているかのようなのだ。いや、鏡でも何でもなくて、ぼくたちの本当の姿なのかもしれない。ルー・リードが“The Bed”でこう歌っている。

 〈知っていたなら 始めやしなかった こんな風に終わるとはね だが妙なことに 俺はちっとも悲しくない こんな風に終わったのに〉

 人生の空しさ、ぼくたちがどんな生き方をしようと、最終的には誰もが死んでいくんだという悲しさをルー・リードは表現しようとしていたのかもしれない。

 ザ・フー『Tommy』のテーマは〈再生と復活〉だった。いろいろあったけど、ぼくの後ろには何百万人もの人がいて、そして、ぼくの前にも何百万人もの人がいる、この輪廻転生のなかで、きっといつかぼくたちは勝利するのだ……というアシッド臭い、ヒッピー的な思いがそこに込められていた。でも、『Berlin』は、すべてから隔離された街で、子供も取り上げられ、最後は結局お前しかいなくなるのだ、そして一人で死んでいく、と物語る。そんな空しさのなか、でもお前はどう生きていくんだということを問うているのだ。