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第17回 ─ やけのはら×曽我部の新春インディペンデント対談

連載
曽 我 部 恵 一、 POP職 人 へ の 道
公開
2009/01/22   12:00
更新
2009/01/22   18:49
テキスト
文/bounce.com編集部

 ご存知〈キング・オブ・メロウロック〉こと曽我部恵一のマンスリー連載! ご自身のお店〈City Country City〉でも素敵な〈手描きPOP〉を作っている曽我部氏が、タワーレコードのPOPを担当。独自のテーマでCD/DVD/書籍をチョイスし、その作品のPOP作りに挑みます。完成したPOPとセレクション・アイテムは、タワーレコード新宿店の〈曽我部コーナー〉にて展開……というWEB&店舗の連動企画! さて今月は、ROSEレーベルのコンピ『Perfect! -Tokyo Independent Music-』に参加したやけのはらさんをお迎えしての新春スペシャル対談をお届けします。『Perfect! -Tokyo Independent Music-』と、その関連作品のPOPもお二人に作っていただきました。

――曽我部さんとやけのはらさんは、今回のコンピ以前から面識はあったんですか?

曽我部 そんなに面識があったわけではないですね。最初は、デモCDを人づてにいただいて。それを聴いたら凄く良くて。

やけのはら 友だちにあげる用に作ったものですね。

曽我部 それを聴いたのはかなり前なんですけど、その後もリミックスとか聴いて「いいなあ」と思っていて。それで、2007年末くらいにコンピを出そうと考えて、いろんな人に声をかけるなかで、やけさん(やけのはら)にもお願いしたんです。あの曲は……めっちゃいいっすよね。

やけのはら ありがとうございます。あれは、歌詞はぼんやりと出来てたんですけど、コンピ用に録音したもので。

曽我部 最初に届いたのがやけさんの曲だったんですけど、聴いてみて、凄く気持ちが上がった。あの曲が来たことで、コンピの内容を考え直したんですよ。最初は、もうちょっとアンダーグラウンドで渋いセレクトを狙ってたんですけど、もっとワイワイ楽しいものにしたいなあと。

――なるほど。最初、今回の対談は〈アンダーグラウンド〉というテーマでお願いしようかと思ったんですけど、やけのはらさんから「〈アンダーグラウンド〉って言葉はピンと来ない」という意見をいただいたんですよね。

やけのはら 〈アンダーグラウンド〉って言ってくれてる人は悪気がないと思うんですけどね。なんか言葉のイメージがぼんやりしてるし、単に閉じてるだけのものを〈アンダーグラウンド〉って言う人もいるし。

曽我部 言っちゃえば、いまやミスチルみたいなもの以外は、みんなアンダーグラウンドだし、アンダーグランドということを冠するメリットもない。あと、自分からアンダーグラウンドって言っちゃってる人は、なんか嫌だよね。

やけのはら そうですよ。だから、このコンピのタイトルになってる〈インディペンデント〉の方がいいですよ(笑)。

曽我部 僕らが中学生の頃にインディーズ・ブームっていうのがあったんだけど、その頃といまの〈インディペンデント〉では質がまるで違っちゃってると思ったんですよ。当時のインディー・レーベルって、実際は後ろに大手のレコード会社とか出版社が付いてたりしたんだけど、いまは本当の意味でインディペンデントな活動をしているアーティストが増えてきてる。それは力強いことだし、今後はどんどんそういう流れになっていくだろうと。

やけのはら 曽我部さんは、最初はメジャーのフィールドでやってましたもんね。僕は最初から〈街の野菜屋さん〉スタイルというか、ずーっとインディペンデントですけど。

曽我部 サニーデイ(サービス)の時はMIDIという会社に所属してたんだけど、流通がメジャーなだけで、半分インディーズみたいな状態だったんですよ。で、その後のソロ活動で一度、本当にメジャーな場を体験したのね。

やけのはら 意外に大変だなあ、みたいな感じですか?

曽我部 そうそう。それで、自分で自由に活動する方が合ってるなあと気付いて、自主レーベルを立ち上げたんです。だから、最初に半インディーみたいな環境を経験できたのが良かった。いきなり大メジャーだったら、インディペンデントの良さはわからなかったかもしれない。

――曽我部さんを含めて、90年代に登場してきたアーティストは、若くして世に出てきて、かつメジャーの場で活躍してきたイメージがあるんですよ。一方で、やけのはらさんの世代のアーティストは、作品を発表するまでにもっと年齢を重ねていて、最初からインディペンデントな人が多い気がします。おおざっぱな印象ではあるんですが……。

曽我部 まあ、僕と同じか、それより上の世代のミュージシャンは、メジャーなところで成功している人が多いよね。僕みたいに、インディーをベースにやってる人はあまりいない。

やけのはら 曽我部さんと同い年のミュージシャンっていうとどんな方ですか?

曽我部 同い年ってあまりいないんだけど……山崎まさよし君とか。でも、山崎君に「コンピに参加してよ」とは言えないじゃない(笑)。やっぱり、80年代~90年代は完全にインディペンデントでアーティストが活動できるような環境が整ってなかったんじゃないかな。流通なんかを含めて。僕より下の世代になると、インディーな人たちが増えてくるからね。豊田(道倫)君とか。

やけのはら 僕と同い年というと、OORUTAICHIさんとか、七尾旅人さんとかですかね。1コ下が(サイプレス)上野くんで、AMIDAさん(EVISBEATS)が1コ上。まあ七尾さんは結構早くからメジャーでやってましたけど。

――ここにきて、みなさん積極的に音源を出されてますよね。

やけのはら そうかもしれない。みんな僕みたいに、自分で育てた野菜を売る感じでやってますよね。僕より売ってる野菜の数は多いかもしれないけど(笑)。

――そこに曽我部さん世代との違いがあるのかもしれない。

やけのはら さっき曽我部さんも言ってた流通網の発展なんかもあって、意識の違いが生まれたんですかね。僕はメジャーなレーベルにデモテープを送ったこともないし。メジャーなところでやっても、なんか大変そうだなっていう。

曽我部 僕らの頃は、「音楽で食っていこう!」みたいな意識があったんですよ。「売れないから田舎に帰ろう」とか。でもいまは、音楽で食ってる人自体が少ないでしょう。CDも売れないし。だからこそ、もっと自由にやってると思うんすよね。僕はそういう人たちを見ていていいなあと思うし、自分もそういうところでやっていきたい。

やけのはら 身近な人から「大人がいっぱいいて、お金もあるような環境でやってみたけど大変だった」みたいな話も聞くし、それは先輩の背中を見てもわかることなんですよね。だから、いきなりバーンと、よくわからない持ち上げられ方をして3年で終わるよりは、貧しくても自分のペースでやっていった方が良いんじゃないかと。僕の場合、もともと「ミュージシャンになろう!」って強い意志があったわけでもないんですけど、いまは音楽で頑張っていこうって思っていて。そこで強いて目標を挙げるとすれば、(音楽を)続けたいってことですかね。

曽我部 いまは業界のいろんな構造がある程度見えちゃってるもんね。

やけのはら だから幻想が持てない世代なのかもしれないすね。

曽我部 僕なんかは、音楽で成功するってことに夢を持てた最後の世代なんだと思う。でも90年代に出てきた人は、その後、結構ションボリな感じになっていっちゃったでしょう。自分だって、一度メジャーに行って結果を出せなかった組な訳ですよ(笑)。そこからどうするかが、いまやっていることのテーマなんですけどね。もう1回音楽でおもしろくやっていこうという。

――そのための方法論として〈インディペンデント〉があると。

曽我部 もちろん。自分が出来ることを自分が出来る範囲でやっていきたい。さっき、やけさんが言っていたように、音楽をいい状況で続けていくことが目標だよね。とりあえずそのことを日々考えて、やっていけたらいいなあと。