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第1回――小坂 忠

連載
その時 歴史は動いた
公開
2009/04/09   17:00
更新
2009/04/09   18:30
ソース
『bounce』 308号(2009/3/25)
テキスト
文/久保田 泰平



2000年12月20日、東京・NHKホール。荒井由実のバック・バンドとしても知られるキャラメル・ママを母体とした音楽ユニット、ティン・パン・アレー改めTin Panの復活ステージに〈彼〉は立っていました。かつてTin Panの面々と共に数々の名演を残してきたシンガーであるこの人は、75年にクリスチャンとなり、78年には日本初のゴスペル専門レーベル=ミクタムを設立。以降、牧師としての活動とゴスペル作品の制作を手掛けていましたが、20数年を経て、唐突ですが本連載初の〈その時〉が訪れました。旧友たちとふたたび同じステージに立つ彼――小坂忠が、ふたたびメジャーのポップ・フィールドに戻ってきたのです。

時は昭和元禄。GSグループ、フローラルのヴォーカリストとして68年にデビューした小坂。翌年にはその音楽性を発展させ、エイプリル・フールというサイケデリック・グループを結成します。メンバーはフローラルからの柳田ヒロ、菊池英二に加え、細野晴臣、松本隆。しかし、ファースト・アルバムを発表すると同時にバンドは解散。彼は日本初のロック・ミュージカル〈HAIR〉に参加するのでした。その頃、細野らは大滝詠一を加えた新たなバンド、ばれんたいん・ぶるうを結成。小坂が〈HAIR〉のオーディションに合格していなければ、ばれんたいん・ぶるうの、ひいてはその発展形=はっぴいえんどのメンバーになっていたかもしれません。

71年、小坂は村井邦彦らと新レーベルのマッシュルームを設立し、ファースト・ソロ・アルバム『ありがとう』を発表。細野、松本、鈴木茂らを迎えた西海岸テイストのサウンドを基調に、朴訥とした詞世界を聴かせるこの作品で、小坂は〈日本のジェイムズ・テイラー〉と喩えられるようになりました。その後、ティン・パン・アレーとの密接な関係性を保ちながらコンスタントに作品を発表していきましたが、70年代後半以降は前述の通り。

さて、NHKホールのステージに立った翌2001年、細野晴臣プロデュースのもと、25年ぶりのポップス・アルバム『People』を発表し、その後はゴスペルとポップスのフィールドを自由に往来。先頃『People』以来となる『Connected』を発表しました。この作品と同時に、過去のアルバムや未発表ライヴ音源、映像などを含む10枚組ボックス・セット『Chu's Garden』(ソニー)もリリース。〈日本のジェイムズ・テイラー〉はいままた注目を集めています。

 

小坂忠のその時々



『Early Days』 エピック

現在はボックス・セット『Chu's Garden』でしか入手できない、『ありがとう』『もっともっと』『はずかしそうに』の初期3作をコンパイルした編集盤。バック・バンド、フォー・ジョー・ハーフとの柔剛交えたパフォーマンスが聴けるライヴ盤『もっともっと』は、小西康陽も〈ティン・パン・アレー関連の作品でいちばんイイ〉と語った傑作。乞う単体CD化!

 

『ほうろう』 エピック(1975)

キャラメル・ママをバックに、それまでのジェイムズ・テイラー・テイストからよりソウル・テイストなヴォーカル・スタイルにシフトした4作目。後年、東京スカパラダイスオーケストラのアルバムにゲスト参加した小沢健二が“しらけちまうぜ”をカヴァーしたことや、〈和モノ〉系フリー・ソウルの文脈でも熱い注目を浴びました。

 

『People』 エピック(2001)

25年ぶりのポップス・アルバムとなった本作のプロデュースは細野晴臣、そしてバックもTin Pan周辺のメンバーで固められている。セルフ・カヴァー“ほうろう”ほか、ノスタルジーとモダニズムを兼ね備えた本作で聴ける彼の歌は、若手のR&Bシンガーじゃ到底出せない落ち着きと色香、そして優しさがあるのです。

 

『Connected』 ビクター(2009)

むしろ瑞々しさが増している――というのは、前作『People』の印象だが、7年4か月ぶりの本作でもそれは変わらない。自作曲に加え、バックを務める佐橋佳幸、Dr.kyOn、小原礼、細野晴臣、さらには大橋卓弥、佐野元春といった面々による楽曲は、適温のソウル・ヴォイスと混ざり合いながら楽しげなポップ・サウンドを形成。フィリー風味の冒頭曲“Hard to say(偶然と必然の間)”はじめ、アルバム全体を包むライトなメロウ感覚は、ここ数年よく耳にするシティー・ポップの文脈でも語れそうである。

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