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第7回――ラッツ&スター

連載
その時 歴史は動いた
公開
2009/09/16   18:00
ソース
『bounce』 314号(2009/9/25)
テキスト
文/久保田 泰平



海外ではパンク・ムーヴメントが起こり、真新しい波が次々と寄せていた70年代後半、東京。オールディーズやドゥワップのコピーを中心としたレパートリーを持つ、一組のアマチュア・グループがいた。彼らの名はシャネルズ。全国規模のバンド・コンテストでも好成績を上げるほどの実力を持っていたが、グループはさらに強い印象を与える何かを求めはじめていた。そんな時、メンバーのひとりがTVの深夜映画でたまたま観た〈うってつけのアイデア〉が活動を急展開させる。映画のなかで変装上手な詐欺師が施していた黒塗りのメイクがそれだった。手っ取り早く顔を黒くするものということで靴墨を顔に塗り、それに合わせた派手なタキシード姿でステージに立つようになった彼らは、その甲斐あってめきめきと頭角を現す。その出で立ちはグループの音楽性が醸し出すソウル・フィーリングとエンターテイメント性をさらに盛り立てることとなったのだ。そして80年2月に発表したシングル“ランナウェイ”がいきなりミリオンセラーを記録した〈その時〉、80年代という新しい時代の幕開けを沸かす、風変わりなニュー・スターが誕生したのだった。

シャネルズがデビューした80年代初頭は、YMOに代表されるテクノ~ニューウェイヴ系の音楽と、松田聖子やたのきんトリオなどニュー・アイドルが台頭していた時期だったが、その一方で彼らのようにルーツに回帰した音楽性を持つアーティストも話題になっていた。山下達郎の大ブレイク作『RIDE ON TIME』(80年)や大瀧詠一『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』(81年)のほか、〈エリーゼのために〉のカヴァー“キッスは目にして”(81年)がヒットしたザ・ヴィーナス、ロックンロールとツッパリ文化をミックスさせた横浜銀蠅、そして緻密なイメージ戦略でデビューしたチェッカーズもその流れの延長だったろう。このように続いていく世の流れに乗ったシャネルズは、“街角トワイライト”“ハリケーン”、83年にラッツ&スターと改名してからは、“め組のひと”や“Tシャツに口紅”など、ドゥワップ・スタイルのヒット曲を次々と送り出した。

しかし〈リーダー〉鈴木雅之の姉、鈴木聖美のデビューをサポートした(“ロンリー・チャップリン”がヒット)87年以降、96年に期間限定復活したもののグループは活動休止状態に。だが鈴木は並外れたソウル・ヴォイスを活かして、ソロで良作をコンスタントに発表し、またバス・ヴォーカルの佐藤善雄はレーベルを立ち上げてゴスペラーズらを送り出すなど、日本のソウル・ミュージック繁栄に大きく貢献している。

 

ラッツ&スター周辺のその時々



ラッツ&スター 『BACK TO THE BASIC』 エピック

靴墨で塗りたくったルックスは一見コミック・バンドだし、子供たちにもめちゃウケしたが、そのあたりの資質は田代まさしや桑野信義といったメンバーが別のシーンで存分に発揮して……。USのオールディーズ・グループ、シャ・ナ・ナのコピー・バンドから始まっただけあり、音楽性のなかに盛り込まれたソウルネスと、後世のヴォーカル・グループもなかなか追いつけないエンタメ性は〈Still Gold〉。

 

大瀧詠一 『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』 ナイアガラ/ソニー(1981)

洗練されたサウンドと永井博によるジャケは、ヤングの遊び文化とも結び付いたオシャレ盤としてももてはやされたが、音の背景は古き良きアメリカン・ポップス。デビュー前のシャネルズを78年作『LET'S ONDO AGAIN』でフィーチャーし、83年には“Tシャツに口紅”を提供。“夢で逢えたら”も大瀧作。

 

チェッカーズ 『THE CHECKERS SUPER BEST COLLECTION』 ポニーキャニオン

オールディーズ・サウンドに80年代的チャームを含ませた〈広告代理店〉カラーに染め上げられ、送り出された彼らは、シャネルズの成功が前例としてあっての存在だったかも知れない。期間限定復活した96年の“夢で逢えたら”を除き、ラッツ&スター最後のTOP10ヒットとなった“め組のひと”が83年。チェッカーズがブレイクした年と同じというのは因果なもので。

 

大沢誉志幸 『GOLDEN☆BEST』 ソニー

〈ニューウェイヴ〉というメイクの下にソウルフルな顔を隠したロック・バンド、クラウディ・スカイを経てソロ・デビュー。鈴木雅之のソロ・デビュー・シングル“ガラス越しに消えた夏”を提供した彼も、80年代における日本のディープなソウル・アイコンとして、“そして僕は途方に暮れる”などヒットを飛ばした。