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映画『ソラニン』

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公開
2010/04/05   13:20
更新
2010/04/05   13:36
ソース
intoxicate vol.84 (2010年2月20日発行)
テキスト
text:村尾泰郎

©2010浅野いにお・小学館/「ソラニン」製作委員会  写真:太田好治

大人になるって、どういうことだろう… 
答えを見つけるため、次の一歩を踏み出すために歌う歌

大人になるって、どういうことだろう……なんて、誰もが一度は考える素朴な疑問。知らないうちに大人になってから「こういうことか」と気づかされたり、答えを保留にしたまま次の一歩が踏み出せなかったり。人気コミックを映画化した『ソラニン』は、そんな悩み多き季節を迎えた若者たちの物語だ。ヒロインの芽衣子(宮﨑あおい)は、OLになって2年目。大学時代に軽音楽部で一緒だった種田(高良健吾)と同棲していて、種田はバイトをしながら大学時代の仲間とバンドを続けている。でも、夢を目指して頑張っているというよりは、どちらかといえば学生気分の延長だ。ミュージシャンを目指すのか、割り切って社会人になるのか、白黒つけられずに灰色な気持ちのまま毎日を送っている。そんな、どっちつかずなままのモラトリアムな愛の日々が淡々とナイーヴに描かれていくところは、60年代の青春映画を観ているようだ。種田が芽衣子の日記を覗きこみ、それがキスにつながり、そのまま二人の身体がもつれあう。その長回しのシーンからは、つつましくも生々しい愛のかたちが伝わってくるようだ。

でも、そんなかりそめの幸せな日々は、芽衣子が会社を辞めたことでさざ波が立ちはじめる。「辞めちゃいなよ。行きつく先が世界の果ての果てだとしても、芽衣子と俺はずっと一緒なんだから」。そんな種田の優しい言葉に肩を押されて、イヤなことばかりの会社を辞めた芽衣子は、これまで以上に種田に寄り添うが、そのぶん種田にはプレッシャーだ。口では立派なことを言いながら、胸の内は不安と焦りでいっぱい。そんな矛盾に苦しむ種田には、若者の等身大の悩みが反映されている。そして、二人の関係が気まずくなってきた時、二人を繋ぎ止めるのが音楽でありバンド仲間だ。

大学で留年しているベースの加藤、実家の薬屋をついだドラムのビリー、そして、社会人として頑張っている芽衣子の親友、アイ。3人はまるで種田と芽衣子の守護天使のように、いつも優しく二人を見守ってくれる。でも、だからこそ、二人は〈ゆるい幸せ〉から抜け出すことができないのかもしれない。バンドで録音したデモCDの結果が得られず、大きな挫折を経験する種田。しばらく行方をくらませた後、結局、働きながら音楽を続けることにするが、その時、種田は芽衣子に電話でこう話す。「みんながいて、芽衣子がいて、それだけでいいんだ」。そして、自殺ともとれる事故死。自分が出した答えに抗うように旅立った種田の気持ちを引き継いで、芽衣子は種田が残した新曲《ソラニン》をバンドで歌うことを決意する。そのライヴ・シーンが映画のクライマックスであり、忘れられない名シーンだ。

今回、宮﨑あおいは映画のためにギターとヴォーカルに初めて挑戦しているが、ステージで歌に向かう佇まいが素晴らしい。ぎこちなく懸命にギターを弾く姿は、同じように初めてギターを弾く芽衣子の姿とぴたりと重なり、その歌声は凛として力強く、観客の胸に真っ直ぐに飛び込んでくる。そんな彼女が歌う《ソラニン》はASIAN KUNG-FU GENERATIONが書き下ろした曲だが、ちゃんと今のロックの音が鳴っている。また加藤を演じる近藤洋一は、J-POPの人気バンド、サンボマスターのベーシスト。映画初出演とは思えない自然な演技で脇を固めているが、ライヴ・シーンではバンドをしっかり引っ張っているのはさすがだ。やがて演奏が終わり、すべてを出し切ったようにステージで動かなくなる芽衣子。俯いて表情は見えないが、逆光を浴びた細い身体から漲る気迫に圧倒される。そもそも〈ソラニン〉とはジャガイモの芽に含まれている毒で、食べると死に至ることもあるらしい。成長過程で生まれる毒をどう処理するのか。答えはもちろんひとつではないけれど、芽衣子の切実な歌には間違いなく解毒作用がある。そして、何度も毒に当たりながら免疫をつけていくこと、それが大人になるってことのなかもしれない。