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映画『トロッコ』

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公開
2010/05/06   15:31
更新
2010/05/06   15:46
ソース
intoxicate vol.85 (2010年4月20日発行)
テキスト
TEXT:磯田健一郎

お父さんが死んだその夏、少年とその家族は、お父さんの故郷・台湾に初めてやってきた。“近くて遠かった”父親の故郷では、日本語を話すおじいちゃんが待っていた。ささやかな冒険と、おじいちゃんが教えてくれた、たくさんの大切なこと。夏の終わりには、少年から暗い表情が消え、たくましい笑顔が見られるようになっていた。母親もまた、雄大な自然の懐に抱かれ、子供との繋がりをゆっくりと見つめ直す。愛する人を亡くしバラバラになりかけていた一家は、“家族の絆”という心の宝物を、この旅で手に入れた。2010年にデビュー10周年を迎えるヴァイオリニスト、川井郁子の奏でる旋律が胸を打つ。

映画『トロッコ』

「──塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のやうに、薄暗い藪や坂のある路が、細々と一すぢ断続してゐる。・・・・・・」

心のなかの何かの物かげにひそむ、幼い時代から持続する獏とした不安の通奏低音。日常生活の中でときにかすかに響きだすとき、生というものの矛盾と不安定さに気づき、立ちどまりたくなる。現代の都市生活者が恐らく共有している〈心の物かげ〉をストレートかつシャープに描き出したのが、芥川龍之介の名品『トロッコ』である。

篠田正浩や行定勲らの助監督をつとめ、今回『トロッコ』で監督デビューを果たした川口浩史はこう語る。

「教科書で読んだ『トロッコ』は鮮烈でした。主人公・良平の憧れと恐怖に心から共鳴しました。映画にするため日本中を回って『トロッコ』を撮影できる線路を探しましたが見つからず、辿り着いたのが〈台湾〉でした」

芥川が持つ優しくも鋭い視線で描き出した生の不確定な響きは、川口と台湾の出会いによって、母子、記憶、共同体、そうしたあらゆる絆の再生譚へと変容する。急死した台湾人の父の故郷、台湾の小さな村へ、日本からふたりの少年が日本人の母とともにやってくる。若くして夫を失った母と少年たちは、あまりよい関係が築けていない。少年を迎え入れる祖父は日本語を話し、孫に愛情を寄せる。少年たちはこの村の滞在で、さまざまな体験をし、絆を見つめなおしてゆく・・・。

川口監督のこの新たな『トロッコ』の世界を具現化させたキャストは、母親役に河瀬直美監督作品で熱い注目を浴びた尾野真千子、またホウ・シャオシェン作品で知られるホン・リウが祖父役をつとめるなど実力派をそろえた。子役もいい。とくに原田賢人が演じる少年は、鬱屈した少年の焦燥を過不足なく表現して印象深い。

撮影監督にはやはりホウ・シャオシェン作品で名高いリー・ピンビン。その映像はしみじみと美しい。少年たちがトロッコを押し、動き出し、疾走し、林を抜けていく約三分三十秒は、少年の高揚感をストレートに端正に描き出し、物語性を超越してしまうほどの映像の説得力を持ちえているように思われた。また数少ない日本人メインスタッフとして、川井郁子が音楽を担当している。

たぶんこの映画の現場は幸福なものだったのだろう。それは仕事の困難さ、とはまたちがった地平でのものさしだ。それがほんのわずかだけ映画の現場を知っているぼくの、率直な感想なのである。それはきっと、観る側に伝わるに足る資質を備えていることだろう。

監督:川口浩史 音楽:川井郁子 出演:尾野真千子/原田賢人/大前喬一/洪流(ホン・リウ)/ 梅芳(メイ・ファン)/張翰(チャン・ハン)/萬芳(ワン・ファン) /ブライアン・チャン他 配給:ビターズ・エンド (2009年 日本 116分)  ◎5/22(土) シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!
©2009 TOROCCO LLP
http://www.torocco-movie.com/