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アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティと、ロックの幸福な時代の終焉

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2010/07/14   18:00
テキスト
文/久保憲司

 

ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場 の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る隔週コラム。今回は、4ADに移籍後初のアルバムの発表を控えるアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティについて。ロックの幸福な時代が終わった72年頃、サイケデリックの終焉、ローリング・ストーンズの名盤『Exile On Main Street』、そして、アリエル・ピンクスの新作。その間には、不思議なミッシング・リンクがあるのかもしれない。

 

ロックの歴史のなかでは、1969年12月6日、オルタモントにおけるローリング・ストーンズのフリー・コンサートで警備をしていたヘルス・エンジェルズが黒人の少年を殺した時に、ロックの幸福な時代は終わったとされている。そして、パンクの登場までロックは商業主義に毒され、ストリートのものじゃなくなったと。しかし、こうしていまアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティの新作『Before Today』を聴いていると、その元ネタであろう72年くらいのサイケデリックというか忘れ去られたロックはなんておもしろそうなんだろう、と思ってしまう。中古レコード屋に置かれた古ぼけたジャケットのなかに、こんなにもおもしろい音楽があるのかなと、そして、アリエル・ピンクはそんなレコードをディグし続けているのかなと。

元ペイヴメントのスティーヴン・マルクマスのソロ作『Real Emotional Trash』もまさにそんな感じだと、このコラムで前に書いたような気がする。結局みんな行き着くところはこのへんなんだよと思ってしまう。パンク前夜の混沌とした感じ――ロックは政治的に挫折したと評論家たちは簡単に言うけど、やっている本人たちは、〈それがどうしたんだ、俺たちは好きにロックンロールをやるんだぜ、もっともっと音楽的に前進するんだぜ〉という感じ。パンクだった僕にはよくわかっていなかったけど、パンク前夜の音楽は、実は凄く充実していたのじゃないかと思ってしまう。

そうそう、つい最近リマスターされたローリング・ストーンズの『Exile On Main Street』もまさに、そんなアルバムなんじゃないだろうか。時もずばり72年だし。当時は評論家から総スカンを食ったそうだけど、いま、このアルバムを聴くと、どんな耳しててんと思ってしまう。確かにキースはヘロインでドボドボだったかもしれないけど、『Exile On Main Street』から聴こえてくるヴィンテージのアンプに通したヴィンテージのエレクトリック・ギターの音――その生の音を聴いているだけで、これがアメリカの音なんだ、これがロックンロールなんだと、いまも心が震える。そして、このグルーヴ以外何もいらないと思ってしまう。これが、ロックの幸福な時代が終わったとされる時代の音だったのだ。

そして、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティの『Before Today』もそんな音楽だなと、ぼくは思ってしまう。もちろん、『Exile On Main Street』のようなロックンロールじゃないけど、サイケデリックが終わった後の、奇妙な実験の音。本当にこのへんの音がいまも楽しそうなのだ。サイケデリック・パンクと呼ばれる元デヴィアンツのミック・ファレンの自叙伝「アナキストに煙草」を読むとまさに、そのへんのアホな感じが描かれていておもしろい。誰も挫折していない。そして、誰もが自分のロックンロールを捜そう、ロックンロールをいつまでもストリートで生かし続けようと必死なのだ。だったら誰もがその時代のロックンロールを鳴らせばいいんだろうけど、ぼくはなんだか、このパンク前夜――ロックの幸福な時代が終わった72年頃に憧れちゃうんだな。準備期間だからかな。この時代にいい音楽があったとしか思えなくて、自分もそれを体験したいなと思う。もちろん、そんなことはできない。音楽で遊ぶしかない。そういうことをアリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティはやっているのかなと思う。ぼくはガールズによってその存在を知ったんだけど、アリエル・ピンクス・ホーンテッド・グラフィティの音楽は、ぼくにとってそういう音楽なのだ。ぼくも宅録始めたいな。