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アラン・リクト『サウンドアート──音楽の向こう側、耳と目の間』

カテゴリ
o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2010/08/16   19:19
更新
2010/08/16   19:24
ソース
intoxicate vol.86 (2010年6月20日発行)
テキスト
text:畠中実(ICC学芸員)

最良の入門書

「サウンドアート」というジャンルに対する、わたしたちを混乱させる印象は、それが「音」=聴覚的なものであるのか、「美術」=視覚的なものであるのかということにはじまり、「音」であって「音楽」ではないのか、ということなどの疑問に集約されるような、居場所を定めにくい感じ、というものに起因するだろう。そして、そのような多様なあり方のどれでもあり得る、という中間領域的な表現であることが、それをより判りにくいものにさせているというのが実際のところだろうと思う。たしかに、「サウンドアート」には美術と音楽、それぞれの領域から派生してきたものが存在し、作品自体も展示や上演などさまざまな形態を持っているように、ひとつの視点からとらえることは困難だ。ゆえに、「サウンドアート」とは、音を使った芸術、音を聴くことをテーマにした芸術、音を想起させるような芸術、といった具合にしか定義できないものでもある。

その多面的な様相を、ひとつひとつ丁寧に紐解いていこうと試みる本書は、最良の入門書となることだろう。上記のようなことは本書の副題「音楽の向こう側」「耳と目の間」に端的に言い表されている。本書の冒頭では、この用語がどのように生まれ、その領域がどのように確保され、また、なぜある表現者がその領域へと踏み出したのか、といったことが明晰な語り口で分析されている。しかし、それらはまた視覚と聴覚、音楽とあるがままの音、聴覚による知覚の変化、音楽と美術、映画と音響、領域横断、といった「サウンドアート」をめぐる数々のトピックによって、またしても、それらがいくつもの可能性の探求であるということを思い知らされる。それらはわたしたちに複数の歴史を参照させ、点と点を結びつけさせるように考えさせる。つい「あいまいな」分野であるということに結論してしまいがちな「サウンドアート」論だが、それはいまだ定位され得ない可能性の実践のただ中にある、といえるものなのだ。