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映画『乱暴と待機』

カテゴリ
o-cha-no-ma CINEMA
公開
2010/10/15   17:56
更新
2010/10/15   18:35
ソース
intoxicate vol.88 (2010年10月10日発行)
テキスト
text:南部真里

破瓜と跛行

高校の同級生である奈々瀬とあずさ、妊娠したあずさの夫である番上、血のつながりのない奈々瀬に「お兄ちゃん」と呼ばせともに暮らす英則、4人の登場人物の奇妙な関わり合いは『乱暴と待機』のすべてである。ひとの顔色ばかりうかがい、断れないから、男にいいよられるまま、過去にはあずさの交際相手を寝取ったかっこうになったこともあった奈々瀬──私はしょうじき、あずさの激しい憎しみの原因が学生時代のこの些細な出来事だったことに驚いた──は、おなじく過去に起きた事件の〈復讐〉と称して彼女を軟禁する英則と同居するが、奈々瀬は近所に引っ越した番上に関係を結ばれ、英則はそれを天井裏からのぞく。それらは演劇の一場面のようであるが、たしかに本谷有希子の原作は最初、戯曲として書かれている。

じっさい筋書きは古典的な姦通物語である『乱暴と待機』は演劇的な切り詰めた空間性をもっているが、4人の性格づけにはわけのわからなさ、というか、底知れないものがある。私はそれは彼らの行動と感情の過剰さからくるとまず思ったが、パンフレットの対談のなかで冨永監督が浅野忠信演じる英則を〈『少年ジャンプ』を読んでいた中2あたりで止まってる〉役柄として演出したという一文を読んで、英則ばかりでなく、番上と奈々瀬のなしくずしのセックスにしろ、上述のように恋愛のトラウマを引きずるあずさにしろ、彼らにはどこか成熟を拒むものがあり、ある意味これは喪ってしまったヴィヴィドな主情を突きつけられた私の不安かもしれなかった。

広くみれば、数年前に松江哲明が描いた『童貞』と対になった処女性……ではなく、『乱暴と待機』で本谷有希子の描くふたりの女、(英則と)性交しない奈々瀬と母になりつつあるあずさには、女性性の成熟と喪失の象徴としての〈破瓜〉のにおいがあり、それをあきらかにしたのが冨永昌敬の〈跛行〉的な作風なのは、とてもしあわせなコラボレーションである。

組み合わせの妙味は、物語と映像だけでなく、音楽にも敷衍している。音楽を担当した大谷能生はサウンドトラックで、彼の参加するsimを思わせる──大島輝之も参加しているから当然かもしれないけど──いびつさを、ラウンジめいた軽さにアレンジし、映像の(オフ)ビート感をそこはかとなく強調している。カセットテープ編集が趣味の英則のテープから流れる80年代のアイドル歌謡みたいな《Summer Of Nowhere》は、やくしまるえつこがヴォーカルをとった劇中歌で、これは相対性理論と大谷能生名義の主題歌とおなじく、舞台装置に徹したはかなげな風情があり、冨永昌敬が相対性理論(やくしまるえつこ)のPVでみせた対旋律的な異化効果とは真逆だが、逆に、しあわせな関係に思えた。

映画『乱暴と待機』

監督・脚本・編集:冨永昌敬 原作:本谷有希子 音楽:大谷能生 主題歌:相対性理論と大谷能生   出演:浅野忠信/美波/小池栄子/山田孝之
配給:メディアファクトリー、ショウゲート(2010年 日本 97分)
◎10/9(土)より、テアトル新宿他全国ロードショー
©2010『乱暴と待機』製作委員会
http://www.ranbou-movie.com