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SKI BEATZ

連載
360°
公開
2010/11/16   22:27
更新
2010/11/16   22:28
ソース
bounce 326号 (2010年10月25日発行)
テキスト
文/高橋芳朗

 

24時間空手学校を開講したセンセイ=スキー・ビーツとは何か?

 

 

日米同時進行のビッグ・プロジェクトへと発展した初ソロ作『24 Hour Karate School』のリリース、そしてメイン・プロデューサーを務めたカレンシー『Pilot Talk』の高評価など、ここにきてふたたび脚光を浴びているスキー・ビーツ。ノースキャロライナ州グリーンズボロで生まれた彼のキャリアは意外に古く、すでに87年には地元のビジー・ボーイズの一員としてデビューを果たしている。このビジー・ボーイズは数枚のシングルを発表した後の90年にアルバム『Droppin' It』のリリースへと漕ぎ着けているものの、その直後にあえなく解散。スキーは新たにオリジナル・フレイヴァーを結成して再スタートを切ることになるわけだが、そんな彼をフックアップしたのが、当時アトランティックのA&Rを兼任していたDJクラーク・ケントと、ダッシュ・エンターテイメントを興して業界入りしたばかりのデイモン・ダッシュであった。

オリジナル・フレイヴァーは92年の『This Is How It Is』、翌年の『Beyond Flavor』と、アトランティックに2枚のアルバムを残してあっけなく解散してしまうが、この活動を通じてビートメイカーとしての手腕を高く評価されたスキーのもとにはプロデュース依頼が殺到する。彼は94~95年にかけてジェイ・Z“In My Lifetime”、カーク“Uptown Style”、シェイマス“Big Willie Style”、キャンプ・ロー“Coolie High”、バハマディア“Uknowhowwedu”といったアンダーグラウンド・スマッシュを輩出すると、デイモン・ダッシュ(とジェイ・Zら)が立ち上げたロッカフェラ傘下にロッカブロック・プロダクションズを設立。96年のジェイ・Z『Reasonable Doubt』、97年のキャンプ・ロー『Uptown Saturday Night』と、2枚のクラシック・アルバムで制作のメインを務めてトップ・プロデューサーの地位を決定づけた。

ジェイ・Z“Who You Wit”、スポーティー・シーヴス“Cheapskate”、ファット・ジョー“John Blaze”、ペイスワン“I Declare War”など、スキーは以降もコンスタントに傑作ビートを送り出していくが、90年代後半になるとヒップホップ・サウンドの変動に伴って仕事量が激減。2000年代に入ってからはNYから地元ノースキャロライナに活動の拠点を移し、ナウ・シティを興して地道な活動を続けていくことになる。

それでも、キャンプ・ローのリユニオン作『Black Hollywood』の制作に携わった2007年頃から徐々に復調。昨年、デイモン・ダッシュが主宰するDD172/ブルーロックのハウス・プロデューサーに就いたことをきっかけに、晴れて表舞台に返り咲いた。先述した『24 Hour Karate School』やカレンシー『Pilot Talk』、そして計8曲を手掛けたスモークDZAのミックステープ『George Kush Da Button』などでは自身のバンド=センセイズを引き連れ、従来からのソウルフルでスタイリッシュなプロダクションをさらに洗練された形に昇華していたスキー。今後は『Pilot Talk』の続編やテリー・ウォーカーの新作などでも彼の仕事を聴くことができるはずだ。

 

▼『24 Hour Karate School』に参加したアーティストの作品を一部紹介。

左から、ウィズ・カリファの2009年作『Deal Or No Deal』(Rostrum)、クール・キッズの2008年作『The Bake Sale』(C.A.K.E./Chocolate Industries)、ジム・ジョーンズの2009年作『Pray IV Reign』(E1/Columbia)、ジョエル・オルティスが属するスローターハウスの2009年作『Slaughterhouse』(E1)、ジーン・グレイの2008年作『Jeanius』(Blacksmith)、ラス・カスの2008年作『Institutionalized Volume 2』(Babygrande)