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『めぐり逢う朝』HDニューマスター版

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o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2011/01/26   21:03
更新
2011/01/27   11:56
ソース
intoxicate vol.89 (2010年12月20日発行)
テキスト
text:染川理咲

その音楽は誰のためにつくられたのだろうか。

古楽の楽曲には、追悼や鎮魂の歌としての名曲が多い。「トンボー」という題名をしばしば耳にするが、Tombeauとはフランス語で「墓碑」を意味し、追悼曲のことをそう呼ぶ。

『めぐり逢う朝』では、弦楽器ヴィオールが奏する静謐なトンボーが流れる。二台のヴィオールのためのコンセール[トンボー]の《涙》。伝説のヴィオール奏者サント・コロンブが亡き妻のために捧げた名曲だ。

時は17世紀。宮廷演奏家として名を馳せたマラン・マレと世俗に背をむけて生きるヴィオールの巨匠サント・コロンブ。そして愛娘マドレーヌ。教える者と教わる者のすさまじいまでの確執は、ヴィオールの繊細な装飾音のように複雑な人間模様を奏でる。

「音楽は言葉なき者たちへのささやかなささげもの」

「まことの音は耳に語らぬ」

宮中での華やかな演奏を拒否し続けてきたコロンブの言葉は深く我々にも語りかけてくる。

孤高のコロンブが、亡き妻の幻影と逢瀬を重ねながら演奏するシーンの儚い美しさよ。妻は微笑んで演奏を聴くが、決して触れることはできぬ切なさ。彼は、奇跡の証として、来訪の食卓の様子を画家に描かせ、その原画は今もルーブル美術館が所蔵しているという。

監督のアラン・コルノー氏は、摩訶不思議な逸話を耽美的に描く。この映画を撮るにあたり、スタッフ全員に谷崎潤一郎の『陰影礼賛』を読ませ、溝口健二の映画『雨月物語』や『新・平家物語』を参考にしたそうだ。

気品のある映像の隠し味はわびさび。彼岸と此岸の橋掛かり役はヴィオール。夢幻能のようにはかなく秘めやかな幽玄の世界。『インド夜想曲』の監督でもあるアラン氏は、バロック時代に隠者の如く生きる真の音楽家に、東洋の哲学者を重ねたのだろうか。

アラン・コルノー監督は、2010年8月に彼岸に渡られた。いにしえの音楽家に捧げた名作は、さらに美しくニューマスターされて、現代人への贈り物として息を吹き返す。