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映画『悪人』

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公開
2011/03/08   18:08
更新
2011/03/08   20:58
ソース
intoxicate vol.90 (2011年2月20日発行)
テキスト
小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)

妻夫木聡と深津絵里がからだを寄せあっているポスター。

2人の主演俳優と「悪人」とのタイトルは、どう結びついているのだろう?

いったい誰が「悪人」なのか? 2人のどちらかが、あるいは、2人ともなのか? 「悪人」を欧米語にしたら、単数になるのか、それとも複数なのか?

ストーリーそのものはわかりにくくない。殺人事件がある。被害者がいて、容疑者がいる。殺人事件をめぐって、誰が死に、誰が殺したかはすぐあきらかになる。手口はややこしくない。ストレートと言っていい。だから、事件の謎解きで引っ張ってゆく映画ではない。

映画は130分をこえる。吉田修一の原作小説は文庫にして2冊、短くはないから、当然といえば当然なのかもしれない。短篇ならともかく、長篇の場合、映画化するとどうしても省略が多くなり、入れ替えもおこってくる。原作を読んでいると、監督や脚本家が小説をどう読み、どう書き換えたかに注意がいったりするし、何がおこるかはわかっているだけ、映画そのものを体験している時間と、アタマのなかでの勝手な了解の時間とがずれているのも気になるところではある。もちろん、『悪人』の場合でもそうではあった。だが、この映画では吉田修一自身が脚本に携わっている点で、小説家の手から映画がはなれているのとは異なったものとなっている。小説をなぞっているわけではないけれど、小説家自らが納得し、セリフも書いている。小説のながれに沿いつつ、あるところをズームアップし、あるところを省略している。それによって、作品全体のパースペクティヴが微妙に異なってくる。たとえば……祐一が以前でいりしていた店の女性のこと、とかだ。

舞台が、東京や大阪ではなく地方であることが、映画ゆえに、あらためて納得させられる。こうしたところは、小説で、もしストーリーを追うことに熱中していたら、こぼれおちてしまうかもしれない。事件がおきたのは、はたらいていたのは、逃げていたのは、こういうところなのか。ひとの少なさや木々の多さ、さびれた漁村、というような情景も、視覚的に捉えられる。こうして、映画をとおして、小説の読み方、細部や状況についての「イメージ」を、再確認させられる。また、文字としてあらわれてくる、九州のことば、方言の言いまわしが、声とともに、イントネーションとともに耳にとどくのも同様だ。

映像ゆえにつよく印象にのこるのは、ひとがひとりでいるときの姿であり、また、複数になったときの暴力のあらわれだ。

馬込光代(深津絵里)の、お客さんの足下へとむかう視線。黙って立っている姿。雨のなか、事件の現場で、傘が手からはなれ、立ち尽くす石橋佳男(柄本明)。バスが去ってゆくのにゆっくりとあたまをさげる清水房枝(樹木希林)。他方の、暴力団まがいの押し売り、マスコミの取材、警察の捜査。男/女のあいだでおこる様々なこと。これらのあいだに、清水祐一(妻夫木聡)がみずからおこなう、行き場のない、突発的に頭を打ちつける行為、黙ったまま突如スパナで器物を叩き割る静かな大学生・鶴田の姿がある。

保険外交員の若い女性が殺されて、両親が悲嘆に暮れ、という状況のなか、映画をみている少なからぬ人たちは、はじめ容疑者と目された大学生に対して憤りをおぼえるだろう。女性がくるまから放りだされ、ガードレールにあたまをぶつけるのと、路上でその父親が蹴飛ばされるのが、同じかたちなのにも気付くはずだ。みているものに、この反復はのこってゆく。

逃避行にはいってからの2人の「色」は、祐一/妻夫木の金髪と紺(と呼んでいいのかどうか)、光代/深津の黒髪と赤。光代/深津が、灯台のそば、海のうすいブルーを背景にこちらをむいている、顔の、肌の色、そして、海辺の食堂の二階で、ガラスのむこうの海をみながら「生まれてはじめてするずる休み」と洩らす表情は忘れられない。

映画をみおわっても疑問はのこる。誰が、のみならず、何が、との問いが心身をはしっている。だが、そもそもこの問い、誰が、何が、「悪人」なのか、は、映画をみる前から、すでに提出されていた。ホームページ上にだってあらわれる──「そして、悪人とはいったい誰なのか?」と。たしかに、映画への誘いかもしれない。広告かもしれない。ざっと目はとおしているし、ふうん、そうなんだ、とはおもっている。でも、みおわって、あらためてタイトルをおもいかえしたとき、あらためて「悪人」とは?と抱えこんでいる。フィクションから、自分たちのまわりのこと、ひとのことも、おもいだしながら。

ほぼ最後のシーン、光代がタクシーのなかでつぶやくセリフは、自身が納得しているものなのか、他者のことばをそれなりに反復しているだけなのか……。

映画は第84回キネマ旬報ペスト・テン、日本映画の第一位を、また、深津絵里はモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を獲得している。

映画『悪人』
監督:李 相日 原作:吉田修一(朝日文庫刊) 脚本:吉田修一 李 相日 音楽:久石  譲
出演:妻夫木聡 深津絵里 岡田将生 満島ひかり/樹木希林 柄本明
©2010「悪人」製作委員会