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まんが日本昔ばなし

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公開
2011/04/26   18:39
更新
2011/04/26   19:22
ソース
intoxicate vol.91 (2011年4月20日発行)
テキスト
text:星憲一朗(涼音堂茶舗)

〈富〉や〈幸〉は、
感謝と愛情あふれた生を生きる者へ
〜21世紀に蘇った民話の心

土曜の夜7時の時報と共に現れる漆黒の背景。『まんが日本昔ばなし』のタイトルの後、おなじみのテーマソングが始まり、たなびく雲と太郎を乗せた龍がゆっくりと画面の隅々を身体をうねらせながら飛び交っていく。かつての子供達には原風景ともいえるシーンだ。

制作された作品は実に1468作品。DVD-BOX第一弾は全10巻、全40話。意外なようだが今回のDVD-BOXが初のDVD化となる。杉井ギサブロー、りんたろう、芝山努、高橋良輔といった錚々たる面々が手掛けるアニメーションによる日本民話の壮大なアーカイヴとなる訳だが、これだけ作品が集まると面白い現象がおこる。1468作品もあるのだから、当然のごとく多くの民話には全く違う民話として同じ民話のヴァリアント(異本)がある。今回のラインナップにはさほど顕著には見られないが、元は同じ型であろう話が、別の回に別の地方の全く違うお話として語られていて、「この話前にもやらなかったっけ?」といった現象を起こす。

そこまでいかずとも、例えばいわゆる異類婚姻譚と言うタイプの物語がある。『鶴の恩返し』のように、若者が恋に落ちて結婚するのが実は動物で、ふたりの結婚状態を維持するために嫁は夫に約束を迫るが結果、夫は嫁との約束をやぶってしまい…というやつだ。第一弾収録作だけを見ても、『うぐいす長者』や『きつね女房』は『鶴の恩返し』と同じこのパターンの物語にあたる。

当初は定番の物語を中心に扱っていたが、長寿番組となるにつれ題材は幅広い地方の民話を集めるようになる。また、ひとくちに〈昔〉と言っても江戸後期の落語や講談を元にしたものから、室町時代の御伽草子をはじめ各地の民話などの口承文芸、日本霊異記などに遡る平安期の仏教説話、古事記などの神話も含め、扱う時代も気の遠くなるほどの幅広い物となっている。

©愛企画センター

おなじみの『桃太郎』は岡山の伝説だし、『浦島太郎』は丹後地方、『八郎潟の八郎』のように東北の民話になると物語はまた違った壮大なスケールを持ってくる。恐ろしげな東北の民話である『イワナの怪』、日本霊異記に元を遡る『きつね女房』、江戸時代の浮世絵調の『絵姿女房』など、多彩な地域の多彩な時代を多彩な作家のタッチで描いている。画面に描かれる日本の風景は、ひとつのイメージで切られてはいない。紋切り型の〈昔の日本〉ではなく、実に多彩な地方色と多彩な時代背景を持った〈いくつもの日本〉が描かれている。

のんびりのほほんとした中に、常に容赦ない死を語る恐ろしい話や悲しい話が挟み込んであり、タイトルバックの後に始まる本編のトーンを読み取るまで、子供達は画面の前で片時も油断が出来ない。

『まんが日本昔ばなし』の放映が開始されたのは1975年。この作品がここまである種独特な安堵感のようなものを伴った世界観を醸し出しているのは、この番組の放送がはじまった1975年という時代がキーワードになってくる。

首都圏ではちょうどこのころニュータウンが完成し、日本の高度成長期が終わった時代だ。
一方で地方ではまだ茅葺きの屋根や農村の風景が残っていて、当時のNHKの『新日本紀行』などでは画面の中でそうした農村や山村が最後の輝きを静かに放っていた。逆にこの時代にはそうした光景はもうTVでしか観る事の出来なくなってしまった光景だったのだ。この作品の農村風景が何ともいえない胸を打つような描写にしあがっているのは、この作品に携わったアニメーター達のそれぞれの故郷や、消え行く幼少の頃の光景への郷愁のようなものが込められているからだと思う。

さらに観察を進めて行くと、物語の中では〈富〉や〈幸〉といったものが、これらの作品中には恐らく世界の民話が普遍的にもっていたであろう、ある思想を持って描かれているということに気付く。

登場人物は出世やお金などさまざまな欲やお金の世界に生きる登場人物と、それとは別個の価値、感謝だったり自然や弱い物への愛情だったりを価値に持つ登場人物がいて、そこに超自然的な存在があらわれて〈富〉や〈幸〉をもたらして行く。ここでは〈富〉は市場原理という人間の世界に入り込んだ富と、山の神や龍神や天狗といった人ならぬものの世界にある富とが共存しせめぎあっている。そして最終的には超自然的な存在からの贈り物として、ちいさな愛情や感謝の中に生きる人々に富や幸せがもたらされる。

『かしき長者』もそんな典型的な物語で、市場原理の世界に生きる漁師達から主人公は馬鹿にされ、役に立たない人物として見られるのだが、主人公はそれをちっとも意に介せず、海の魚達に餌をあげ続け、相変わらず感謝と愛情あふれた生を生きる。富はそうした生に贈り物としてやってくるのだ。

当たり前の人生訓として語られていただろう物語が、2011年の今見返すと違った説得力と輝きをもって胸に迫って来るのに気付く。

これらの物語がただの民話の話に見えるか、違う輝きをもって見えるどうかは我々がこれからどう生きるかにかかっている。