芸術家という職業を日本人に知らしめた男。〜土曜ドラマ「TAROの塔」岡本太郎生誕100年記念企画
©2011 NHK
戦後、日本人にとって日本の近代化を誰もが確信した二つの出来事と言えば、昭和39年に開催された〈東京オリンピック〉と昭和45年に開催された〈日本万国博覧会(通称=大阪万博)〉である。特に大阪万博については、半年間に延べ6千4百万人を超える入場者が会場に詰め掛けた。独立行政法人・日本万国博覧会記念機構のホームページによれば、万博入場料8百円に対して、当時の日本人の平均月収は5万円と記述されている。
現在の若者には未だピンと来ないかも知れないが、当時は国内旅行すら経験する人が少ない中で、日本の家族たちが大阪に向けて大移動していったのである。「オリンピックは無理だったけど、万博ぐらいは見せてあげないとね。」と言う会話が日本の其処此処の井戸端に見られた。各云う私も、当時日本最長を誇った北陸トンネルを抜けて、大阪へと向かった一人である。幼かった私は、万博のテーマ『人類の進歩と調和』などは知る由もなく、白黒テレビの番組が誘った、未知なるものに通じた2つの世界を体験する事しか頭になかった。
ひとつは、「アポロ計画」によってもたらされた「月の石」をこの目で見ること。そしてもうひとつは『太陽の塔』に登ることであった。しかし残念なことに「太陽の塔」は想像を絶する位の長蛇の列で、私は父から塔に登ることを諦める様に諭されベソを書きながら、高くそびえる塔の中へ消えてゆく人々を恨めしく眺めていたのだった。それから十年以上私は「太陽の塔」の事など忘れていた。
しかしある日、カラーテレビのCM画面から彼は突然現れた。グランドピアノに鮮烈な音を叩きつけながら『芸術は爆発だ!』と叫んだ。高度成長からバブルへ向けて疾走しようとする日本に、挑戦的なまでに、芸術の根本とは、鑑賞する人間の懐の豊かさとは無関係であると、言わんばかりに…。私は、恐らくこの時初めて、自分の人生のなかで芸術家という職業を意識したのではないかと思う。芸術家とは、自らの創造に湧き上がるパッションを具現化する職業なんだと言う事を知らされた。
岡本太郎は、「太陽の塔」を制作するにあたって、『兎に角、べらぼうなものをつくってやる』と語ったという。「太陽の塔」をはじめ、彼の作品が没後もなお、多くの日本人に強烈なインパクトと同時にリスペクトの気持ちを寄せているのは、もしかしたら日本人の心の中に、物質的な豊かさと引き換えに失われてゆく、人間本来が持つ、べらぼうなまでの生に対する執着心やひとりの個人が持つ独創性に共鳴するからなのかも知れない。
岡本太郎生誕100年の今年、NHKにより彼の人生がドラマ化された。「太陽の塔」が完成するまでの軌跡を軸に、芸術家・岡本太郎の知られざる全貌を描くと言うものだ。芸術一家として生を受け、破天荒な家庭環境の中で、彼が追い求めてゆく芸術の真髄とは何なのかが、TVドラマという形で初めて提示された。漫画家で太郎の父・一平役に田辺誠一、小説家である母・かの子役に寺島しのぶ、青年時代の太郎役に濱田 岳、秘書そして後に太郎の養女となる敏子役に常盤貴子、青年期よりの太郎役に松尾スズキが好演している。
ドラマのDVDボックス化に際して、メインキャストのインタヴューやメイキング映像が特典として挿入されているのは、ドラマや俳優ファンにとっては嬉しい限りだが、今回NHK発のTVドラマということで、NHKが所蔵する岡本太郎に関する貴重な映像が特典として収録されている事が嬉しい。ドラマの感動に深みを与えてくれる。