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第56回――タイム・ファミリー

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2011/11/16   00:00
ソース
bounce 338号 (2011年11月25日発行)
テキスト
文/出嶌孝次


プリンスによって〈作られたバンド〉が、実に21年ぶりとなるアルバムをリリース! デビューから30年、そこから飛び出した数多くの才能によってミネアポリス・ファンクを盛り上げたザ・タイムの歩みを、今回は改めて追いかけてみましょう!



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何かのフェスや式典に絡めて、消滅していた往年の名グループが再結成するというのは、古今東西やジャンルを問わず、決して珍しいことではないだろう。しかしながら、ほとんど実体のなかったように思われたバンドが、改めて再結成という形で立体化してくるというのは珍しいし、よもやのタイミングで実現したのだから驚かされる。そう、名称こそオリジナル・セヴンとなってはいるが、80年代初頭にミネアポリスで活動していたファンク・バンド、ザ・タイムが帰ってきたのだ。

タイムの中心人物は、高校時代のプリンスやアンドレ・シモーンらのグランド・セントラルというバンドでドラマーを務めていた同級生、モーリス・デイだ。時は70年代半ば、場所はミネソタ州ミネアポリス。白人人口の多いミネアポリスではソウルやファンクを志向するアマチュア自体がさほど多くなく、地元でのグランド・セントラルはフライト・タイムなるバンドと競い合っていた……とされている。

時は流れて81年。プロとして一定の成功を収めたプリンスは、より黒人音楽的な持ち味を発散するプロジェクトの擁立を考えていた。一説には映画「アイドルメイカー」(80年:奇しくもライアン・ゴスリングの監督作としてリメイクが発表されたばかり!)に着想を得たとされているが……ともかくプリンスが白羽の矢を立てたのは、地元の実力派バンド、フライト・タイムだったのだ。

ドナルド・バードの曲名をもじってFlyte Tymeと名乗ったこのバンドでは、実力派シンガーのアレクサンダー・オニールをヴォーカリストに擁していたが、契約にあたって金銭面で揉めたオニールはソロ歌手の道を選ぶ(レーベルから歌や外見が〈黒すぎる〉と判断されたという説もある)。そこでプリンスが思い出したのは、新たにエンタープライズというバンドを組んでいた旧友のモーリスだった。彼をリード・シンガーに抜擢し、同じエンタープライズからギタリストのジェシー・ジョンソン(イリノイ出身)を引き抜く形で、81年にタイムはデビュー。モーリス&ジェシーと、フライト・タイムから残ったジミー“ジャム”ハリス(キーボード)、テリー・ルイス(ベース)、モンテ・モア(キーボード)、ジェリービーン・ジョンソン(ドラムス)の計6名——つまり実際はオリジナル・シックスなのだが——そうやってバンドは動きはじめた。



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デビュー・シングル“Get It Up”はR&Bチャート6位、次の“Cool”は同7位を記録し、ソングライトと演奏をプリンスがすべて行ったアルバム『The Time』もヒット。次作『What Time Is It?』(82年)では演奏部分が初めてメンバーに委ねられ、ホーンの代わりにシンセを重奏するというミネアポリス・ファンクの基礎も確立された。やがてそんなレコードでの傀儡ぶりとは裏腹に、彼らはライヴ・バンドとして人気を集めていくようになる。ある種のエキセントリックさを魅力としていたプリンスとは違い、戯画的なジゴロっぷりをアピールするモーリスのショウアップされた振る舞いは、ステージで鏡持ち(従者)を務めたダンサーのジェローム・ベントン(テリー・ルイスのハーフブラザー)との絡みも手伝って独自の人気を築き上げていく。なお、今回のオリジナル・セヴンはジェロームを加えたこの7人のことだ。

そんな状況に自信を深めたジミー・ジャムとテリー・ルイスの2人は満たされぬ創作意欲を発揮すべく、プリンスに隠れて外でプロデュース活動を行うようになる。が、〈仕事〉に出かけたあげく雪で飛行機が飛ばず、ショウを欠勤した2人はバンドを解雇されてしまった。結局ジャム&ルイスはフライト・タイム・プロダクションを設立し、モンテ・モアもすぐそこに合流。プロデューサー集団として活動を開始している。

一方のタイムはジェロームを正式メンバーに迎え、離脱した3人の代わりにポール“セント・ポール”ピーターソンとマーク・カーデナス(共にキーボード)、ジェリー・ハバード(ベース)を加えた7人で活動を継続。プリンスの主演映画「パープル・レイン」(84年)に敵役のバンドとして出演し、特にモーリス・デイの怪演は高い評価を得た。映画でも使われた“Jungle Love”のヒットもあって、3作目『Icecream Castle』(84年)は過去最高のヒットを記録するが、その成功の最中にモーリスがソロ転向を宣言。ジェシーもプリンスに反目して去り、タイムはあっけなく解散してしまった。が、結果的にはこの解散がミネアポリス・ファンクを世に広める結果になったのだ。

俳優との兼業でモーリスがソロ・デビューし、A&Mと契約したジェシーもプリンス路線のソロ・ファンカーへ転身(マークとジェリーもバック・メンバーとして合流)、ジャム&ルイスの援護でアレクサンダー・オニールもアルバム・デビュー……と脱タイム組の飛躍が相次いだ85年、プリンスは残党のセント・ポール、ジェローム、ジェリービーンに、新たにエリック・リーズとスザンナ・メルヴォワンを加えた5人組のザ・ファミリーをデビューさせる。表向きは新バンドという設定だったが、これもタイムと同じく実際はプリンスのプロジェクトだったため、すぐに崩壊している。そしてジェリービーンも加えたフライト・タイム軍団は、86年にジャネット・ジャクソンを世界的にブレイクさせるのである。



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状況が一変した90年、「パープル・レイン」の設定を焼き直した映画「グラフィティ・ブリッジ」のために黄金の7人がリユニオンし、タイムでの4作目『Pandemonium』を発表。この期に及んでも自分の曲だけをやらせるプリンスは凄いが、この時はふたたび散開。その後はモーリスがタイムの名前を使ってショウを行ったりしていたが、2000年代後半の集結を経てこのたび登場したオリジナル・セヴンの『Condensate』は、ジャム&ルイスが制作面を統括。初めてメンバー個々の創意を総意として作られたアルバムということになるわけだ。

なお、同じように不遇な成り立ちだったファミリーも2000年代になって再結成し、fデラックスの名で奇しくもこのたびアルバム『Gaslight』をリリースしたばかり(ジェリービーンは両方のメンバーに名を連ねている)。プリンスはそんな旧交の温められる様子をどう眺めているのだろうか。



▼オリジナル・セヴンのファースト・アルバム『Condensate』(Saguaro Road)

 

▼fデラックスのファースト・アルバム『Gaslight』(fDeluxe/Ropeadope)