CD10枚組のボックス・セットの中に収められている曲は、たったの4曲だった。彼らが存在していたとき、レコードは残されなかった。ガセネタは、1977年に結成され、1979年に解散した。長いとは言えないが、短いとも言えない2年ほどの活動期間に、ガセネタの曲として作曲され、演奏されたものは、《雨上がりのバラード》《父ちゃんのポーが聞こえる》《宇宙人の春》《社会復帰》の4曲。それがこのボックスの中にすべてある。そのスタジオテイクは『Sooner or Later』(PSF)で聴くことができる。もう少し正確に書くなら、《雨上がりのバラード》は26テイク、《父ちゃんのポーが聞こえる》は27テイク、《宇宙人の春》は17テイク、《社会復帰》は11テイクある。それが曲ごとに各CDに振り分けられていたりするから、金太郎飴状態に1曲を十分に堪能することができる。しかし、これがまったく飽きるどころか、ひたすら繰り返し聴き込んでいる。活動期間中に彼らが録音を残さなかったのは、ある楽曲が、聴き手によってある印象に固定されてしまうような録音物としての音楽のあり方に異を唱えていたのか。ジョン・ケージのように録音された音楽を嫌ったから、というわけではあるまい。しかし、これだけのヴァージョンを詰め込むことによって、それは回避されている。おなじさまざまなものがある。すべてのライヴテイクを聴き比べるなんて、レッド・ツェッペリンのマニアみたいだが、それがこの10枚のCDで可能になる。これだけで十分に中毒したように聴きたおすことができる。純粋なエネルギー。潔さ。『ガセネタの荒野』の中で大里俊晴が書いていたような、少々文学的なセンチメンタリズム。加速度。過剰。アナキズム。それらはここに溢れかえっている。いや、ちらかっている。山崎春美の声は演奏にとけ込んでいる。浜野純のギターが弾きまくっている。大里俊晴のベースがとても前に出ている。