初来日を果たしたインド古典声楽の若き巨匠
インド音楽といえば一般的には、ビートルズやジョン・コルトレーンがらみで有名になったラヴィ・シャンカルのシタール演奏などの器楽音楽や、ボリウッド娯楽映画のポップな音楽−−派手な群舞つきのリズム・ナンバーやラヴ・シーンのベタなバラード−−をまず思い浮かべる人が多いのではないだろうか。あるいは人によってはイギリス経由のバングラ・ビートや、ロマの音楽との関連が取り沙汰されるラジャスタンの旅芸人の音楽などがそれにかわるのかもしれない。いずれにせよそれらにくらべると、インドの古典声楽が紹介される機会は少ない。そのわけは、シタールやタブラの演奏はジャズやクラブ系のダンス・ミュージックの感覚の延長線上で聞けなくもないが、声楽は欧米的な音楽との類似を安易に語りにくいぶん、敷居が高く感じられるからのようだ。
しかしインドの古典音楽は実は声楽を中心に回っている。楽器をやりたい人も最初に声楽を習得しなければならない。歌声でラーガ(旋律の体系)やターラ(リズムの体系)の複雑多様な世界を表現することをまずみっちり学ぶ。器楽演奏はいわばその声楽の声を楽器に置き換えるような形で展開してきており、たとえばシタールの曲がりくねったよく共鳴する響きも、変幻自在な歌声に近付くための工夫なのである。
8月に来日したコウシキ(あるいはカウシキ)・チャクラバルティーは、北インド古典音楽の声楽の若手第一人者で、イギリスのBBCのワールド・ミュージックの賞を受賞するなど、国際的にも熱い注目を浴びている。とにかく歌のうまい人で、少女のようなまんまるい顔で微笑みながら高速でくりだす音階唱法や豊かなコブシ回しを聴けば、専門的な知識がない人でも「尋常ではない」「ワザあり!」と言わざるを得ないだろう。というわけで、インド古典音楽の神髄にふれつつ、ボリウッド映画音楽のルーツ、さらには仏教のお経のルーツなどにも思いをはせてみるのも楽しいものである。