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伊福部昭

公開
2011/10/21   11:00
ソース
intoxicate vol.94(2011年10月10日)
テキスト
text :片山杜秀

『わんぱく王子の大蛇退治』、映画と音楽の幸せな出会い


 

伊福部昭(1914〜2006年)が作曲した映画は約 300本に及ぶ。『ゴジラ』や『ラドン』や『大魔神』がある。黒澤明の『静かなる決闘』や成瀬巳喜男の『コタンの口笛』や新藤兼人の『原爆の子』だってあ る。カタログはあまりに膨大。そこから1本だけ、代表作を選んでください! そんな無茶な質問をされたとき、作曲家が挙げていたのは芹川有吾監督の『わんぱく王子の大蛇退治」。1963年に東映の作った長編アニメ映画だ。

なぜ、それが作曲家自ら認める代表作なのか。とりあえず5つの理由が重なっているだろう。

第1はアニメの一般的特性。アニメは絵だ。幾ら動かしてみても実写のリアリティには欠ける。絵に生気を吹き込むには実写映画以上に効果音や音楽が雄弁でなければならない。音がいのちなのだ。ゆえに通常、アニメ映画における音楽のつく時間の割合は実写映画よりずっと高い。実写とアニメでは作曲家の活躍度が違う。伊福部がその恩恵を享受した唯一の作品が『わんぱく王子』なのだった。伊福部はこれしか長編アニメ映画の音楽を手掛けていない。

第2は、原作が日本神話であること。主役はわんぱく王子のスサノオ(声は子役時代の風間杜夫)。日本の国土を産んだイザナギとイザナミの夫婦の子供だ。彼が、死んだ母の魂の行方を求め、海で山で、さらに天上界の高天原で、明朗闊達に大活躍する。一方、伊福部の音楽は民族主義やアジア主義や原始主義と呼ばれる。古代的でおおらかなアジアの響きをオーケストラで鳴らすのがいちばんの得意だ。伊福部の持ち味そのままで作品の世界にはまる。

第3は、映画の見せ場がバレエ・シーンであること。スサノオが高天原に来て暴れるので、太陽神アマテラスは怒って岩戸の奥に隠れ、世界は真っ暗になる。そこで神々が神楽をやって踊りくるい、アマテラスを不審がらせ、岩戸から出てこさせようとする。そのバレエの場面が延々とある。伊福部はというと、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』や幼少の頃北海道の開拓地で見聞したアイヌの原始舞踏に刺激されて作曲に導かれた。荒々しいバレエが大好きなのである。そういうセンスがアマテラスを召還する『岩戸神楽』の音楽にストレートに発揮されている。伊福部らしさの極みが聴ける。

第4は、映画のもうひとつの見せ場がヤマタノオロチとスサノオの対決場面であること。ヤマタノオロチは大蛇だ。怪獣みたいなものだ。『ゴジラ・シリーズ』での、低音楽器を重視した分厚いオーケストレーションで怪獣の量感を際立たせる伊福部の方法が、徹底的に生かされる。

第5は作曲家の祖先にまつわること。伊福部家はもともと因幡国(現在の鳥取県)の神官。系図上の初代はスサノオの子供のオオクニヌシだ。それは神話伝説の類いとしても、伊福部家の先祖が、スサノオやオオクニヌシの神話を伝える山陰の古代豪族だったことは古代の墓碑銘等により証明されている。つまり伊福部本人の感覚としては『わんぱく王子』はご先祖様の映画だった。ゆえに思い入れが深く、仕事にも力が入ったのだ。

作曲家と映画がこれ以上幸福に出会っている作品をほかに知らない。

 

『レクチャーコンサート「映画は音楽に嫉妬するvol.1」伊東信宏企画・構成 片山杜秀と聴く「わんぱく王子の大蛇退治」 「ゴジラ」の伊福部昭が、アニメ作品に込めたものは─。』
2011年11/26(土)16:00開演
会場:ザ・フェニックスホール(大阪市北区)
講師:片山杜秀 演奏:高良仁美(P)

http://phoenixhall.jp/