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映画『ジョン・レノン, ニューヨーク』

公開
2011/11/01   11:00
ソース
intoxicate vol.94(2011年12月10日発行)
テキスト
text:天辰保文  photo:Ben Ross

未公開映像、未発表音源で描かれる、ジョン・レノンが
最も愛した街、ニューヨーク、あの時代

1980年8月7日、スタジオに声が響く。声の主はジョン・レノンだ。「刺身が食べたい。45番通りの吉兆だ。電話帳で調べろ。ヨーコ・オノで注文を。 じゃないと断られる。盛り合わせがいい。マグロ、玉子、刺身だ。生魚が食べたい!よし、いくぞ」と。そのレコーディングは、5年ぶりの復帰作となる『ダブ ル・ファンタジー』に向けて始められたものだが、映画では、それを遡ること約9年、ジョン・レノンがニューヨークに移った1971年から、波乱に富んだア メリカでの暮らしぶりを経て音楽界に復帰し、そして凶弾に倒れるまでが描かれている。いわゆるドキュメンタリー映画だ。

そもそも、ジョンがニューヨークに移ったのは、ビートルズ解散後の自由や希望を求めてのものでもあったが、それ以上に英国メディアによるヨーコへの激しい攻撃から逃れるためだった。だから、二人のニューヨークへの旅は孤独な逃避行をも思わせた。しかも、当時のアメリカは、ベトナム戦争が泥沼化し、社会そのものが揺れ動いていた時期だ。その混乱を背景に二人は、それも好むと好まざるとにかかわらずに反戦や平和や差別を巡るありとあらゆる運動にかかわっていく。

その中には、不当逮捕された反戦活動家ジョン・シンクレアの解放運動を支援するコンサートもあれば、アッティカ刑務所の暴動で犠牲になった囚人の遺族のためのコンサートもあった。だから、当時のアメリカ社会の空気を伝える映像としても興味深く観ることが出来るはずだ。ただし、社会にもたらす彼の影響力がはっきり現れるようになると、それを警戒するアメリカ政府との新しい戦いが始まる。国外退去を含めてニクソン政権の露骨な圧力は、ジョンを動揺させ、ヨーコとの間に亀裂をもたらすことになる。

ヨーコに別居を言い渡され、酒に溺れてのロサンゼルスでの放蕩な暮らしぶり、いわゆる〈失われた週末〉へと至るのである。ハリー・ニルソンやキース・ムーン等との馬鹿騒ぎの中で、ポール・マッカートニーと談笑するシーンがさり気なく出てきて驚かせる。こうやって貴重な映像や音源が、ジョン・レノンを身近に感じさせるシーンがいろんな形で出てくる。それを、ヨーコはもちろんのこと、デヴィッド・ゲフィン、ボブ・グルーエン、ジム・ケルトナー、アンディ・ニューマーク、クラウス・フォアマン等々、写真家からミュージシャンまで彼とかかわってきた人たちの証言を交えながら進行していく。

エルトン・ジョンもその一人だ。『真夜中を突っ走れ』で共演したとき、そのお返しにとエルトンは、コンサートへの出演をジョンに依頼する。ジョンは、同曲がチャートで1位になることを条件に引き受け、実際に、同曲はジョンにとって初の全米ナンバーワンヒットになったことから、1974年11月のマディソン・スクエア・ガーデンで二人の約束が実現する。そのときの様子をエルトンがふり返っている。ジョンをステージに迎えるMCと同時に上がった歓声に、「あれほどの歓声は誰も受けたことがない」と。

そのコンサートはヨーコとの和解をももたらし、それを機に二人はニューヨークでの生活を再開する。ショーンの誕生と主夫としての新しい暮らし、さらにはアメリカでの永住権の獲得。そして、音楽家としての復帰を託して、『ダブル・ファンタジー』のレコーディングへと話は進む。プロデューサーのジャック・ダグラスは、そのアルバムを「ジョンがどこにいるかという明白な声明だった」とふり返る。

凶弾に倒れるシーンは、必要以上にドラマティックに描かれてはいない。むしろ、そのときのジョンが音楽にどういう思いを託そうとしていたのか、そちらに重きを置いて描かれている。つまり、ビートルズのジョンでない、ジョン・レノンという一人を描くばかりか、当時のジョン・レノンに過不足なく立ち戻り、彼はどんな未来を語ろうとしていたのか、それを問いかけてくれるのだ。

ニューヨークを舞台にジョンが過ごした9年間は、ビートルズに新しい世界を開かれた若者たちが社会に出ていった、平たく言えば大人へと足を踏み出していった時期にあたる。過酷な現実に溶け込みながらいろんな悩みや苦しみを知り、いっぽうでは新たな喜びも我々は知ることになったが、ジョンもまたその例外ではなかったということだ。ジョンは、映像の最後のほうでこう語りかける。「16才に向かって歌ってるんじゃない──若者もいいけど、共に育った世代に語りかけたい、いまじゃ妻子持ちの、そんな彼らに向けて歌っているんだ」と、そしてこうも加える。「戻ってきたよ、そっちはどう?」と。その言葉は、当時の彼の息遣いさえをも運んでくれるような気がする。