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Chico Buarque『シコ』

公開
2011/11/07   11:00
ソース
intoxicate vol.94(2011年10月10日)
テキスト
text:佐藤由美

ブラジルが誇る偉大な知性が5年ぶりの新作を発表


国民的という称号が、現役で唯一許される文化人。どうしてもブラジル音楽に期待されるのは、先鋭性や荒ぶるリズム、はたまたクラブ族お気に入りの過去の栄光スタイルだったりする。シコの音楽は、そんな外野の淡い欲望にそぐわない。繊細かつ奔放、崇高な詩作、不動の知性で国民の信に応えてきた。つねにシコのアルバムとライヴは、不変の静けさをもって語りかける。抑制の利いたサウンドは温故知新の結晶で、国民を安堵させる。ゆえに前々大統領FHCが、うっかり漏らした本音発言が有名だ。曰く、「まったく変わらんシコより、変わり続けるカエターノのほうがマシ」……とか何とか。不粋な学術肌の大統領に対し、国民は懐疑の眼差しを向けた。

歌が、社会変革をうながす真の武器として機能してきた国々の中でも、これほど顕著な例はない。シコの歌そのものが国全体を突き動かし、80年代半ばに軍政から直接大統領選挙へのうねりを導いた。静けさの闘士は、今や小説家と音楽家稼業を両立させながら、マイペースで作品を発表している。だから、5年ぶりのスタジオ録音。

通算21作目だが、日本盤での新作リリースは30年ぶり? の快挙。鼻にかかった歌声で、リオっ子らしい達観のサンバ、マルシャ(マーチ)風ヴァルサ(ワルツ)に、ひと垂らしの北東部&アフロスピリット。前作でもコンビを組んだイヴァン・リンスとの合作や、84年にも共作したジョアン・ボスコとの顔合わせ。旧知の仲、ウィルソン・ダス・ネヴィスのゲスト円熟ヴォーカル、ギタリストのルイス・クラウヂオ・ハモス率いる派手さを嫌うつましい伴奏陣など、断じて流行を先取りしたり奇策に頼ったりしない、豊穣の世界が広がる。それを予定調和と呼びたければ、呼べ。人の聴力限度を知悉する、31分余というアルバム単位の長さもいい。

欧州人をして「ブラジル最高の文学は音楽の中にあり」と言わしめた、珠玉の世界。老いを感じさせぬのは、不滅の証しなのだ。