こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

NEWS & COLUMN ニュース/記事

ムーンライダーズ

公開
2011/12/22   20:13
ソース
intoxicate vol.95(2011年12月10日発行)
テキスト
文 村尾泰郎


デビュー35周年目にして、月に帰る

今年でデビュー35周年を迎えたムーンライダーズ。誰がいったか「日本最古のロック・バンド」が、2011年11月11日に無期限の活動休止を宣言した。しかも、年末に予定されていた新作を準備中のこと。青天の霹靂、というのは、晴れ渡った空に突然、雷が鳴り響く、という意味らしいが、知らせを聞いた時は、青空に大きなクエスチョン・マークが浮かんだ。なぜ、このタイミングに? なにしろ、ムーンライダーズといえば、鈴木慶一を筆頭に、かしぶち哲郎、岡田徹、白井良明、武川雅寛、鈴木博文と、それぞれソロ活動やプロデュース・ワークをこなす個性豊かな面々が集まったバンド。それだけに、いつもどこかに仕掛けがあるような、限りなく深読み可能なバンドだけに、活動休止宣言直後には、これはずっと前から計画されていたことでは…という憶測も飛び交ったりもした。そんな中、僕は幸運にもバンドの公式サイトのための取材という形で、鈴木慶一に話を訊くことができた。そこで鈴木は、活動休止は計画的なものではなく、メンバーで話し合って決めたことであり、その理由は簡単に要約できることではないこと。そして、インタヴューを通じて休止の理由を語るよりも、とりあえずアルバムを聴いて、そこからリスナーそれぞれが、活動休止について自由に解釈してほしい、と語ってくれた。そして、差し出されたのが新作『ciao!』だ。

振り返れば、ムーンライダーズが公式デビューしたのは76年。鈴木慶一のソロ・アルバムとして制作された『火の玉ボーイ』に、〈鈴木慶一とムーンライダーズ〉としてクレジットされたのが始まりで、翌77年にはムーンライダーズ名義で『ムーンライダーズ』を発表する。時代はフォークからニュー・ミュージックへと移りゆくなか、ムーンライダーズは映画音楽、ジャズなど、様々な要素を盛り込みながらプログレッシヴで洗練されたロックを生み出していった。なかでも、『イスタンブール・マンボ』(77)に代表されるシネマティックな無国籍風サウンドは、初期ムーンライダーズの大きな特徴のひとつだ。そして、ロック・シーンにパンク/ニュー・ウェイヴという革命が起きると、同世代のミュージシャンの多くがテクノ(シンセ)に対してアンチな姿勢をとるなかで、ムーンライダーズは果敢に新しいサウンドを取り入れて過激な音響実験に明け暮れ、挙げ句の果てに「難解すぎる」とレーベルからクレームがついた『マニア・マニエラ』(82)を、当時ほとんど普及していなかったCDでリリースするという暴挙にでたこともあった。以降、音楽的ボキャブラリーの豊かさ、シアトリカルな演出、そして、テクノロジーを積極的に取り入れた実験性。そういった要素は、ライダーズ・サウンドのエッセンスとして、すべての作品を通じて貫かれて来た。そして、もちろん、『ciao!』でも、これ以上ないくらいライダーズらしさが凝縮されている。

アルバムのオープニングを飾るのは、つんのめるようなビートにホーン・セクションが炸裂する《who's gonna be reborn first》。ライダーズ・ファンならば、91年作『最後の晩餐』に収録された《who's gonna die first》を思い出さずにはいられないはずだ。『最後の晩餐』は5年間の活動休止のあとに発表された久し振りの新作で、《who's gonna die first》はバンドの再生を告げるオープニング・ナンバーだったことを思うと、実に意味ありげなタイトルだ。この曲をはじめ、一曲に詰め込まれたアイデアの豊富さ、重層的なサウンド・メイキングはいつもながらだが、アルバム前半で印象的なのが、バンド初期の無国籍感がアップデートされた力強さで甦っていること。彼らが幻視してきたエキゾチックな風景が、タフな演奏と精緻なサウンドで生々しく迫ってくる。そして、中盤。《折れた矢》《Masque-Rider》とずしりと重いナンバーが並ぶあたりは叙情に溢れ、「燃えているのは 港の方だ 煙っている 湾岸あたり/揺れているのは 僕らの方だ 良い想いばかりだったかな」(《Masque-Rider》)という歌詞からは、バンドの後ろ姿が浮かび上がってくるようだ。でも、サヨナラだからって思い詰めないのがライダーズ・マナー。脱力ソウル《オカシな救済》や、ダメ男達のシュプレヒコール《主なくとも 梅は咲く ならば(もはや何者でもない)》という諧謔精神溢れるナンバーで鋭気を養い、ラストはロバート・アルトマン監督の遺作を思わせるタイトル《蒸気でできたプレイグランド劇場で》の爽やかなメロディにのって、陽気なカーニバルの一座は遠くと消えていく。メンバー全員が自作曲を提供し、全員がリード・ヴォーカルをとり、共にコーラスを重ねる。とても活動休止を決めたバンドとは思えない勢いとヴォリュームに満ちた本作を聴くに連れ、つくづく、こんな変なバンドほかにはいないと思う。日本で最古のロック・バンドは、間違いなく、日本でサイコーのロック・バンドだった。