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Paul McCartney 『Concert for NewYork City』

カテゴリ
o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2012/01/16   19:46
ソース
intoxicate vol.95(2011年12月10日発行)
テキスト
text:桑原シロー

9.11から1ヶ月間のポールとニューヨークのドキュメンタリー

あの日、ポール・マッカートニーはそこにいた。2011年9月11日、凄惨なテロ攻撃を受けてグローバリゼーションのシンボルがもろくも崩れ去り、塵の都 と化したNYに。その直後、彼はマディソン・スクエア・ガーデンでの大規模なベネフィット・コンサートのために行動を始める。翌10月、マディソン・スク エア・ガーデンにザ・フーやミック・ジャガー&キース・リチャーズ、エルトン・ジョンにエリック・クラプトン(withバディ・ガイ)らが大集合、〈コン サート・フォー・ニューヨーク・シティ〉が開かれた。あれから10年が経ち、あのときの彼を追ったドキュメンタリーが作られた。ポールがおふざけで 《Fly Me To The Moon》を歌ったりするスタジオ・リハーサルや、前述したUKロック界の生けるレジェンドたちによるパフォーマンスといった音楽シーンもふんだんに散り ばめられているが、何といっても作品の肝はポールの素顔を捉えたシーンだ。興奮するファンたちの人ごみから逃げ出したあと自分を落ち着かせるように「リ ラックス」と呟くシーンを筆頭に、生身のポールが浮かぶ場面が数多く登場する。それだけに、「平和主義ではいられない。黙って傍観するなんて許されない」 といった語りがやたらと生々しく響くのであった。ビートルズ渾身の名曲《The End》の有名な一節をタイトルに用いたこの作品を観ながら、誰もがきっとジョン・レノンの存在(不在)を強く意識してしまうに違いない。あのときポール が書き上げた自由を得るための戦いの歌《Freedom》が、ここでは主題歌のように扱われているが、もしジョンが生きていたならどんな曲を作っただろう か。2001年版の《Imagine》? それとも……というような妄想も掻き立てずにはおかないこのNYCドキュメンタリー。そういえば、たびたび現れる運転手「ジョージ」との会話を聞きなが ら、この頃ってジョージ・ハリソンは存命中だったよなと気付いてハッとさせられたりもした。