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映画『私が、生きる肌』

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公開
2012/03/26   19:41
ソース
intoxicate vol.96(2012年2月20日発行号)
テキスト
text:佐藤由美

果たして医師は、
何を再生しようとしているのか。
失った人の感触?
取り戻せるはずもない血肉と愛情?

独特の色調とセンス、既成概念を覆す人物設定や舞台装置、奇想天外なストーリー運びに非凡な結末。スクリーンの中にもうひとつの映像を重ねる手法も、シンボリックに往年の名曲が主人公の胸中を暗示するやり方も、すべて健在だ。今回珍しく原作が存在するのだが(ティエリー・ジョンケ著『蜘蛛の微笑』)、それとて閃きの土台にすぎぬかもしれない。ひたすら、アルモドバル監督の特異な個性が観る者を圧倒する。

女性賛歌三部作と謳われた『オール・アバウト・マイ・マザー』(98年)、『トーク・トゥ・ハー』(02年)、『ボルベール<帰郷>』(06年)。教会の暗部に迫る問題作『バッド・エデュケーション』(04年)、華麗な悲劇『抱擁のかけら』(09年)、はたまた80~90年代前半までの奔放かつキッチュな世界とも違う、怪しくも錯綜した人間模様。否、これまで登場した濃密エッセンスがちりばめられている、とも言えるのだが。

当然、話題の中心は、『アタメ』(89年)以来22年ぶりにアルモドバルとタッグを組み、狂気の形成外科医ロベルを演じるアントニオ・バンデラスの存在感だろう。生命倫理に抵触する人工皮膚の完成に精力を注ぎ、自らの邸宅で実験を繰り返す冷徹非情な男。亡き妻ガルの映し身、幽閉された被験者ベラには、アルモドバル作品初登場、美しきエレナ・アナヤ。監視・世話係のマリリア役は、大女優マリサ・パレデスだ。
2012年、トレド郊外の別荘地区エル・シガラル。液晶画面越しに意識し合う、天才医師と被験者。10年ぶりにブラジル北東部から舞い戻った、マリリアの不肖の息子セカ(ポルトガル語訛りで、自らはゼカと発音)。闖入者のせいでかき乱される運命と、徐々に暴かれる三者の関係。果たして医師は、何を再生しようとしているのか。失った人の感触? 取り戻せるはずもない血肉と愛情? 「薄く柔らかな肌」が意味するものとは、なんと官能的で、狂気と紙一重なのだろう。

美女の顔面を被うつるんとしたマスクや、天井から下がる照明器具が、どこか卵を連想させる……と思ったら、アルベルト・イグレシアス書き下ろしの主題曲名は《卵の一蹴り》。「アルモドバル・レッド」とでもお呼びしたい特徴的な深紅、暖色系にブルーが際立つ映像は、『アタメ』や『バッド・エデュケーション』に携わった、ホセ・ルイス・アルカイネが撮影。衣装担当パコ・デルガードに加え、『キカ』(93年)以来のジャン=ポール・ゴルチェが衣装協力しているそうだ。

アルモドバル作品では「往年の名曲が主人公の胸中を暗示する」と、先に述べた。今回鍵を握るのは、医師の回想シーン、結婚パーティーのステージで、コンチャ・ブイカが歌う《セ・メ・イソ・ファシル》! 曲名は、「私には容易く思えた」といった意味。「かくもその女が私を愛した、という記憶を消し去ってしまうことなど、容易く思えたのに」と、執着を嘆く歌だ。

作者は、スペインと浅からぬ縁を持つメキシコの歴史的な作詞作曲家、アグスティン・ララ。あまたラテン歌手やコーラス・グループが録音を残した名曲だが、アルモドバルお気に入りのチャベーラ・バルガス(※95年作『私の秘密の花』にライヴ映像を挿入)により世界に紹介された楽曲のひとつ、とも記憶される。

コンチャ・ブイカは、西アフリカはギニアがルーツのマジョルカ島生まれ。フラメンコにサルサを融合させるなど、異色の自由奔放なスタイルで大いに脚光を浴び、07年に初来日。本作ではさらに《ポル・エル・アモール・デ・アマール(ネセシート・アモール)》も披露。監督の選択眼、さすがというほかない。

あとひとつ、医師の愛娘ノルマが、母から受け継いだ子守唄のような一節を、ポルトガル語で口ずさむ場面がある。ひょっとしたら亡き妻「ガル」は、名前からして……近年の監督にとって極めて馴染み深い、ブラジル北東部バイーア出身者という設定なのかも?

映画『私が、生きる肌』

監督:ペドロ・アルモドバル
音楽:アルベルト・イグレシアス
出演:アントニオ・バンデラス/エレナ・アナヤ/マリサ・パレデス/他
配給:ブロードメディア・スタジオ(2011年 スペイン 120分)
◎2012年5/26(土)TOHOシネマズシャンテ、シネマライズ他全国ロードショー
http://www.theskinilivein-movie.jp

Photo by José Haro  © El Deseo