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第37回――尾崎紀世彦

連載
その時 歴史は動いた
公開
2012/08/22   00:00
ソース
bounce 347号(2012年8月25日発行)
テキスト
文・ディスクガイド/久保田泰平


尾崎紀世彦_A



歌謡曲は時代を喰らって生きるモンスターだ——そんなことを言っていたのは作詞家・阿久悠だが、曲がヒットする要素として、時代の巡り合わせや良き演者との出会いは肝心だ。何年も前に作られたナンバーがある時からグングンとヒット・チャートを駆け上がったり、埋もれていた楽曲が別のシンガーによってリメイクされ、スポットを浴びる……なんていうことはそれを象徴する出来事だろう。

70年2月に発表された ひとりの悲しみ は、前年に 白いサンゴ礁 をヒットさせたズー・ニー・ヴーが4枚目のシングルとして発表した曲。軽快な16ビートとダイナミックなメロディーが印象的な佳曲……ではあったものの、残念ながらヒットするまでには至らなかった。しかし、作詞の阿久悠、作曲の筒美京平をはじめとするスタッフ内での評価は高く、埋もれさせてはいけないという思いから別の歌い手にこれを託すこととなったのである。そのシンガーとは、尾崎紀世彦。歌詞も一新されて、 また逢う日まで というタイトルで生まれ変わったこのナンバーを彼が手にした〈その時〉、昭和を代表する名曲が誕生すると共に、彼の持つ未曾有のセンスと歌唱力に眩いスポットが当てられたのでした。

10代の頃から音楽活動をしていた尾崎は、いくつかのハワイアン・バンドや、カントリー&ウェスタン・バンドだったジミー時田&マウンテン・プレイボーイズでの活動を経て、67年に3人組ヴォーカル・グループのワンダースを結成している。フォーク、ジャズ、ポップスなど幅広いレパートリーをこなす実力派グループだったが、当時隆盛を極めていたGSブームの波に呑まれる形で大きな成果を残すことができず、2年後には解散してしまう。70年夏にソロへ転向。しかし、デビュー・シングル 別れの夜明け はさほど大きな話題にはならず、前途多難な再出発か……というところに舞い込んできたのが、 また逢う日まで でした。ワンダース時代から定評のあった、それこそ埋もらせておくにはもったいない歌唱力を買われての大抜擢。圧倒的な声量、日本人離れしたソウルフルなフィーリングを得て世に送り出されたこの曲は、71年の〈日本レコード大賞〉にも輝く特大ヒットとなったのだった。

70年代半ば以降、しばらくヒットには恵まれなかったが、87年3月に発表したシングル サマー・ラブ で久しぶりに表舞台へと帰還。じわじわとセールスを重ねていき、90年には18年ぶりの〈紅白〉出場も果たしている。そして12年5月30日、肝臓ガンのため死去。享年69歳。彼の名前を聞いて思い出せる曲は少ないかもしれないが、それでも尾崎の歌が残した印象は、あまりにも大きい。

 

キーヨのその時々



尾崎紀世彦 『ゴールデン☆ベスト 尾崎紀世彦 サマー・ラブ』 ソニー

〈追悼盤〉として編まれた最新ベスト盤は、不遇の時代だった70年代中期以降から久々のヒットを記録した“サマーラブ”までのドキュメント、といった趣のラインナップだ。“また逢う日まで”の後に石油ショック、“サマーラブ”の後にバブル崩壊──ある意味〈浮世離れ〉した彼のフィーリングは、好景気のピークにこそ輝くものなのか。

 

尾崎紀世彦 『ザ・プレミアム・ベスト 尾崎紀世彦』 ユニバーサル

70年代を代表する、というより日本の歌謡史上に輝く名曲“また逢う日まで”を収めた定番ベスト。エルヴィス、トム・ジョーンズ、レイ・チャールズなど、圧倒的な声量とノンウェットでスケール感溢れるフィーリングを活かした洋楽カヴァーも聴きどころ。

 

ズー・ニー・ヴー 『ゴールデン☆ベスト ズー・ニー・ヴー』 コロムビア

もともとリズム&ブルースを得意としていた彼らも、フォーク・タッチの“白いサンゴ礁”がヒットしたことでその手の路線を望まれるようになってしまったか。“また逢う日まで”の原型となった“ひとりの悲しみ”は、彼らのセンスにバッチリとハマっていたが……。

 

『popular music〜筒美京平トリビュート〜』 ユニバーサル(2009)

クレイジーケンバンドが“また逢う日まで”をカヴァー。ヒットした当時はまだ小学生だった剣さんも、キーヨのダイナミックに歌い上げる歌唱スタイルやモミアゲや汗や黒いスーツに〈男の世界〉を感じたでありましょう。にしても、これを歌いきれる剣さんって……!

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