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Vinicius Cantuaria『Indio De Apartamento』

カテゴリ
o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2012/10/29   13:14
ソース
intoxicate vol.100(2012年10月10日発行号)
テキスト
text:成田佳洋

ブラジリアン・イン・ニューヨーク

都市生活者の孤独や漂流感、そしてそれらとひきかえに手に入れた刹那の美しさ。アンバランスなもの、欠落したもののみが喚起するある種の感情、もしくは中毒性というものがあるように思う。ヴィニシウス・カントゥアリアのレコードを聴くとき、いつもそういう小さな衝動が自分のなかにもあることに気づかされる。

ヴィニシウスの欠落が美しいのは、その失った側にあるものの豊かさ、眩しさの裏返しであるに違いない。40代半ばにしてニューヨークに拠点を移すまでをリオで過ごした彼の歌とギターは、シンプルにいってボサノヴァの系譜にあるものであり、サンバのエッセンスを凝縮した歌のかたちである。作品のコンセプトや録音メンバーは多少変化しても、彼の歌とギターのスタイルはほとんど変わらず、時間がとまったようですらある。まるで別れた恋人の像がいつまでも若々しくあるように。だが、いつか誰でも歳をとるし、枯れていく。現実の無残さによって影は深まる。

『アパート暮らしのインヂオ』と名付けられた新作は、とりわけその影が見事である。冒頭の《Humanos》(ポルトガル語で人間の意)から、歌もギターも、朽ちてゆきそうなほどに脆く、儚い。ブラジル音楽の豊穣を体現するギターを、こんな風に響かせる同国人が他にいるだろうか。ダビングされた浮遊感溢れるギターは盟友ビル・フリゼールのものかと思えば、これもヴィニシウス本人によるもので、その漂流するトーンが彼のなかにも内在化していることを窺わせる。生々しい録音、ときに過激なバランスのミックスも、音楽のコントラストをくっきりと浮かび上がらせるようで、私は好きだ。

先のフリゼール、ジェシー・ハリス、ノラ・ジョーンズといった参加陣のなかでは、坂本龍一の演奏が群を抜いている。プリペアード奏法や不協音も、この音楽のなかにあって居心地を確保されている。2人の官能性もまた、どこか似ている。