いわゆる「テクノ」や「ミニマル」や「ヒップホップ」の底にあるもの
ノンサッチなる「レーベル」が気になるようになったのは、たまたま手にした1枚がそうだったからだ。ケージの《プリペアド・ピアノとオーケストラのための協奏曲》とフォスの《バロック変奏曲》とのカップリングで、ピアノは高橋悠治が弾いていた。1970年代の半ばのことだ。国内盤は高価だし、何よりもたくさん聴きたいという子どもには、なかなか辛いものがあった。そうすると、盤質の良し悪しなどどうせわからないんだと開きなおって、輸入盤なるものを手にするようになる。でも、ブーレーズがフランス国立放送管をふった《春の祭典》もノンサッチだった。こんなのが何枚かある。当時はロゴがもっと曲線を描いていたのだけれども、これが角張ったのは84年、現在のかたちに落ち着いたのは95年だ。
「ノンサッチ」がレーベルとして生まれたのは1964年、1931年生まれのジョン・ホルツマンがひっそりと始めたエレクトラ・レコードのなかでのことだ。エレクトラは1950年にできているから、もうだいぶ安定してのことだろう。エレクトリック・サウンドが登場するのもこのレーベルの特徴で、1967年にはモートン・スボトニック、翌68年にはウォルター(ウェンディ)・カーロスの『スウィッチト・オン・バッハ』が登場する。先に引いたケージ/フォスのアルバム、ケージ/ヒラーの《HPSCHD》もほぼ同時期だ。どちらかといえばサイケデリックともいえそうなこれらのジャケットが30×30センチのLPの大きさであるのはなかなか壮観だった(正直、CDでは見る影もない)。
だが、新しい音楽という以上に民族音楽・世界音楽のシリーズもつよいインパクトを持っていた。まだ「ワールド」と呼ばれなかった時期、レコード店の棚に「エクスプローラー」のシリーズがならんだ。調べてみると1968年からということだが、ヴェトナム戦争の行方がみえず、世界的に学生運動が広まり……という時期にこうした音源がリリースされていったとおもうと、このレーベルのありよう、方向性が今さらながら気になったりするのである。
さて、まだ少し先になるのだが、2014年が誕生50周年を迎えるノンサッチ、それにむけての企画が始動し始めた。気が早いというなかれ。カタログがかなりの数あるのだ。しかもここしばらく国内盤が切れていたことをおもいだしてほしい。2012年秋には「高松宮殿下記念世界文化賞」をフィリップ・グラスが受賞した。それでも国内盤はほとんど店頭になかったのではないか。12月初旬に来日したスティーヴ・ライヒはどうか。クロノス・クァルテットはどうか。そうした主要なアルバムを、1枚ものが¥1,575、2枚組が¥2,625(ともに税込)でアニバーサル・イヤー第一弾として30タイトルをリリースする。ノンサッチというレーベルはもともと「良いレコードを安く」というコンセプトを持ってもいたわけで、その意味では理念どおりのものといえるかもしれない。
ここにあるのは、冒頭に引いたケージ/フォスのアルバムのように1960年代のものもあるけれど、その多くは80〜90年代のものだ。60年代にでてきたミニマル・ミュージックが一般に認知され、若い人たちを中心に広く聴かれるようになった、その時期のもの。そしてもっともCDの売り上げが多かった90年代、当然、ただ難解な「現代音楽」ではなく聴き手が文字どおり自分たちと「おなじ時代」のものとして感じることのできた芸術音楽。さらに、若い人たちにむけて言うとすれば、いわゆる「テクノ」や「ミニマル」や「ヒップホップ」の底にあるものがここにある。
いま挙げたものだけではなく、グレツキ《悲歌のシンフォニー》やピアソラ《バンドネオン協奏曲》が持つインパクトはけっして薄れてはいないだろうし、「弦楽四重奏」という楽器編成がなお可能であり、しかもアフリカの作品を演奏している『アフリカン・アルバム』は、先の「エクスプローラー」とリンクするものでもあろう。
ここにはまだ民族音楽・世界音楽やジャズ系は見当たらない。でも、まだ時間はたっぷりある。どんなものがでるのか興味津々。ぜひ多くのひとに手にしてもらって、作品も演奏も、誰もが知っている、共通の、スタンダードとなってほしい──わたしにとっては随分いろいろを教わった個々のアルバムでありレーベルだから。