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能から生まれたふたつの『隅田川』〜KAAT 神奈川芸術劇場 「隅田川二題」 

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公開
2013/02/20   17:07
ソース
intoxicate vol.102(2013年2月20日発行号)
テキスト
文/小沼純一(音楽・文芸批評家/早稲田大学教授)

鈴木准(テノール)、角田鋼亮(指揮)

KAAT神奈川芸術劇場では、オペラ『カーリュー・リヴァー』と日本舞踊「清元 隅田川」を二本立てで上演する『隅田川二題』というプロジェクトが進行中である。

前者は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)が1956年に来日した折、能「隅田川」につよい印象を受け、1964年に初演された教会で上演されることを想定したオペラ。設定は中世のヨーロッパに移し替えられているが、子を失った女性を中心とし、音楽による一種の慰霊をされるところはしっかりとのこっている。能とオペラの上演はこれまでも何度かおこなわれてきたけれど、今回はオペラと日本舞踊というはじめての組み合わせとなる。両者の演出は、昨年末に『日本舞踊×オーケストラ』の公演を成功させた花柳壽輔。KAAT神奈川芸術劇場ホールは花道が設置できるなど客席や舞台面の形状を自在に変化させられるという特徴があり、オペラと日本舞踊を、休憩をはさんで一挙に上演することが浮上してきたという。今年2013年がブリテン生誕100年であることも忘れてはなるまい。

ここではオペラで狂女役を演じる鈴木准、指揮の角田鋼亮両氏におはなしをうかがった。

鈴木准:ブリテンの、特にトマス・ハーディによる歌曲を聴いて、そのテクストをみたとき、あ、こんなにも現代的な感覚の中に寄り添った歌曲が、音楽的に完成され、しかも、聴いたこともないような音楽になっていることにはっとしたというのがあるんです。20世紀のオペラらしい同時代性といったものを感じたのでそこで虜になりました。そういう、作曲家との出会いは、ハーディと、ハーディのテクストと同時だったと言えるかもしれないですね。

『カーリュー・リヴァー』は室内楽編成で、本来、指揮者をたてることは想定していない。だが、歌手と室内アンサンブル、そして演出との関係をつくってゆくためには不可欠な存在であるといえる。角田鋼亮は、この作品を指揮するのははじめてであるという。

角田鋼亮:この作品は指揮者をたてないつもりで書かれていて、そういった意味では特殊な作品です。ですので自らを主張するというよりかは、個々の、例えば狂女であるとか、渡し守であるとか、コーラスであるとか、楽器の間にたって、どうバランスを取るかというところに、今回の自分の役割があるととらえています。だから、他のオペラに携わる時とはスタンスが少し異なるでしょう。ある種、演者や器楽奏者の自由度が高い。ブリテンはそうしたところに「和」のものの良さがあると思って書いたと思うのです。じつは、譜面のなかに「カーリュー・サイン」というのがあるんですよ。鳥を模しているような記号ですけれども、あるパートが次の小節に進むときに、違うテンポで動いている他のパートがそこにたどり着くまでその音符で待っていましょう、というサインなんです。また器楽アンサンブルのパート譜には、どの楽器の人が指揮者の役割になって合図を出しましょう、というのが、書かれている。結局、それが私の仕事に今度はなってくるので、そのぶん、演奏者は演奏の方に専念できるかな、と。今回はさらに舞踊が加わるので、そういった意味で、パイプ役にならないといけないですね。

もともとは劇場ではなく、教会で演じるものとしてつくられているというのもこのオペラの特徴といえる。初演はイングランドのサフォーク州オーフォードの聖バーソロミュー教会だったのだが、鈴木准は昨年、藝大の「隅田川+カーリュー・リヴァー」プロジェクトで狂女役を演じたのが、まさにそこだった。

鈴木准:初演の教会はとっても小さな空間だったのです。客席を作っても、多分300席が限度じゃないかな。天井はものすごく高い。外観はぜんぶ石なのですけれども、天井に木の梁がある。なんでああいった造りになったのかよくわからないのですが、ドイツやイタリアの石造りのチャペルとはだいぶ趣がちがう。チャペルとしては残響が少なめだから、非常に快適に演奏できた。ブリテンが能の「隅田川」の実演を能楽堂で接して、コンパクトな空間っていうのが必要に感じたせいなのではないでしょうか。歌曲とかを歌ってコンサートを演奏するにもとっても良い空間です。息づかいとか、ことばの一つ一つとかが、響きのなかでかき消されることがない。お客さんの呼吸、お客さんの息づかいも聞こえるくらいの、緊密な空間なんです。そういう意味では、歌曲作品を演奏するのとまったく変わりなく、その音楽に集中したものが必要なんじゃないかな、と想像していましたね。

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