こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

NEWS & COLUMN ニュース/記事

映画『ノーコメントbyゲンスブール』 

公開
2013/07/17   19:06
ソース
intoxicate vol.104(2013年6月20日発行号)
テキスト
text:渡辺亨

「クラシックを弾いていると、父親と会話しているような気がする」

ボリス・ヴィアンの小説『うたかたの日々(日々の泡)』(1947年)の序文の一部──人生で大切なことは、美しい女の子との恋愛と、デューク・エリントンの音楽の二つだけだ━━88年にセルジュ・ゲンスブールにインタヴューした時、このヴィアンの見解についてどう思うか尋ねてみた。答えは、「デューク・エリントンも悪くないが、私だったら、アート・テイタムを挙げる」。

アート・テイタム(1909-1556)は、先天的な視覚障害を抱えながらも、超絶技巧の演奏でジャズ・ピアノの歴史を塗り変えた黒人ピアニスト。クラシックの影響も消化していたテイタムは、もし黒人でなかったら、クラシック・ピアニストとしても大成したに違いないと言われるほどの天才だった。フランス社会におけるロシア系ユダヤ人という黒人のような存在であり、なおかつクラシック・ピアニストだった父親を通じてクラシックにも影響を受けていたセルジュ・ゲンスブール。そんなゲンスブールは、アート・テイタムに自分をある程度重ね合わせていたのかもしれない。

『ノーコメントbyゲンスブール』(2011年)の中でも、ゲンスブールはアート・テイタムの名前を挙げている。ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』を何度も繰り返して読んだというゲンスブールが、もし自分がこの作品の中に出てくる詩の権利を持っていて、それに曲を付けるなら、どんな音楽がいいだろうと自らに問いかけるシーン。マーラー風、ラフマニノフ風、シェーンベルク風、ドビュッシー風、ショパン風……とクラシックの作曲家を列挙していたゲンスブールが突然、「そうだ、アート・テイタム」と声を上げる。その瞬間、アート・テイタムの音楽が流れる。

『ノーコメントbyゲンスブール』は、ゲンスブールが出演したテレビ番組やラジオ番組、彼が監督あるいは出演した映画などの映像と音声を中心に、イメージ・フィルムを加え、ゲンスブールが一人称で自身について語るという体裁に仕立てられたドキュメンタリー映画(原題は『Gainsbourg by Gainsbourg An Intimate Self-Portrait』)。ゲンスブールに決定的な影響を与えたボリス・ヴィアンはもとより、ジュリエット・グレコやブリジット・バルドー、アンナ・カリーナ、ジェーン・バーキン、シャルロット・ゲンスブール、バンブーなどゲンスブールの人生を彩ったさまざまな女性たちの映像もひんぱんに目にすることができる。

このドキュメンタリー映画を制作するにあたって、おびただしい数のインタヴュー資料を集めたピエール=アンリ・サルファティ監督は、「彼のインタヴューの4分の3は同じ話題が繰り返されていることに気づいた」という。そこでより徹底的にリサーチし、ゲンスブールが自身の内面を掘り下げて語っている資料を手に入れたという。この裏話が物語っているように、『ノーコメントbyゲンスブール』は、ゲンスブールの内面を描くことを主題とした作品である。「ルシアン・ギンズブルグ」(私人)と「セルジュ・ゲンスブール」(公人)という2つの人格を生き、「生と死」や「愛と憎悪」といった相反するものを常に意識し、66年に《ジキルとハイド》という曲を発表し、自ら監督した『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(67年)でジェーン・バーキンに両性具有者的な主人公を演じさせた男の「引き裂かれた自己」を。「愛されたくないが愛されたい。そう、それが私なのだ」という発言に象徴される、アンビヴァレンスがアイデンティティーを支えていた男の、「20年間被り続けた仮面が顔に貼りついて取れなくなった」と述懐する男(仮面の下はロシア系ユダヤ人のルシアン・ギンズブルグ)の内面を。もっとも、あえて名前は記さないが、このドキュメンタリー映画には、ゲンスブールの本質を最初から見抜いていたあるフランス人女性歌手が出てくる。彼女の発言に深く頷く人は、少なくないだろう。

『ノーコメントbyゲンスブール』の特筆すべき点は、ゲンスブールが父親のことを語った映像や音声がかなり使われていることだ。

ロシア革命後の内乱を避けてパリに亡命してきた父親は、本来はクラシック・ピアニストだったが、ダンスホールでピアノを弾くことによって生計を立てていた。ゲンスブールは6歳の頃からこの父親にクラシック・ピアノを指導され、上手く弾けないたびに叱責された。一般的な父子関係と同じように、ゲンスブールも父親と打ち解け合うような間柄ではなかった。しかし、父親に認められたかったし、彼が死んだ時は自分が予想していた以上に悲しんだ。「クラシックを弾いていると、父親と会話しているような気がする」。僕はこのゲンスブールの言葉に胸が詰まりそうになった。と同時に、なぜ彼がバンブーとの間に生まれた男児に「ルシアン」と名付けたのか分かったような気になった。

こうした父親との関係が掘り下げられていることもあって、『ノーコメントbyゲンスブール』は、「ピアノを弾くゲンスブール」がやけに出てくる作品である。それも自作曲だけではなく、クラシック作品や《煙が目にしみる》も弾いているゲンスブールの姿を。だからこそ僕はこの原稿をアート・テイタムの話から始めた。

僕はゲンスブールに一度しかインタヴューしたことがないが、彼はシャイで、若造にはとても優しい人だった。もし天国でゲンスブールに再びインタヴューすることができたなら、彼と同じようにやさぐれたフランス人アーティストだったクラシック・ピアニストの話から始めようと思う。

「サンソン・フランソワはお好きでしたか?」

https://tower.jp/~/media/Images/intoxicate/shishakai/%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%ABmain.jpg

©Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011

映画『ノーコメントbyゲンスブール』
監督:ピエール=アンリ・サルファティ
音楽監修:マチュー・デュジェレ ミュージック・イメージ・コネクト
出演:セルジュ・ゲンスブール/ジェーン・バーキン/シャルロット・ゲンスブール/ルル・ゲンスブール/ジュリエット・グレコ/ブリジット・バルドー/アンナ・カリーナ/エディット・ピアフ/ヴァネッサ・パラディ/他
配給:アップリンク(2011年 フランス 99分)
◎2013年夏、Bunkamuraル・シネマほか、全国ロードショー!
http://uplink.co.jp/nocomment/



RELATED POSTS関連記事