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没後50年記念『フランシス・プーランクの夕べ』

カテゴリ
O-CHA-NO-MA PREVIEW
公開
2013/09/20   20:00
ソース
intoxicate vol.105(2013年8月20日発行号)
テキスト
text : 青澤隆明


プーランク_A
©Francis Poulenc collection, Paris



プはプーランクのプ。──遊びと祈りのために

むかしいっしょの職場に、別府さんという人がいた。彼の言ったことでいくつか心に残る言葉があって、そのひとつは出会いがしらに言い放った「死ぬまでにあと何回、『七人の侍』を観られるだろう?」という一言だ。それが嘆きなのか、希望なのかわからないけれど、彼はなぜか溜め息まじりにそう言って、煙草をくわえたのだった。もうひとつは、「いくら冬が寒くとも、絶対に股引は履かない」という秋口からの宣言で、これは迫りくる年輪への悲壮な戦闘布告なのであった。

そして、きわめつけは、「名字に"ぷ"とか"ぺ"とか入っているのって嫌だよな。間ぬけで。別府のほかにそうないだろ?」というもの。あんまり不機嫌そうに言うので、僕は思わず「北別府は?」と言って、さらに事態を悪くしてしまった。さて、この話のどこがプーランクと関係あるのかといえば、シンプルに言って「ぷ」以外にはないと思う。

もし、フランシス・プーランクがフランシス・プーランクという名前でなかったら、彼はどれくらい違う人生を歩んだことだろう。イニシャルはFPでピアノみたいだが、フランシスは宗教的な響きをもつ。プーランクのプは、勝手に英語でみれば、プレイのプ。カタカナなら遊びと祈りが重なってくる。もし、ブランとかブラックとかブーランジェだったら、あのような透明な軽やかさと、その裏腹の深刻さを、私たちは直観的に想像できたろうか。ペートープェンやプラームスやパーグナー、ドピュッシーもプーレーズも、そんなに偉くはなれなそうだ。プリンがブリンじゃ、ちっともおいしくないし、ショバンやビカソときた日には、もうお話にもならない。

たぶん、プーランクをその音楽の内実と違えて、飄々として軽々しいとみなす向きがあるとしたら、まずは名前の音の響きが大きく作用しているのではないかと思う。彼の音楽を聴く以前の話だが、しかし作品を聴いても管やオルガンが「ぷ」といえば、それだけで重厚な渋面からはするりと逃れてしまう。だが、軽やかさは、ユーモアやアイロニーとともに、悲惨で逼迫した空気のなか、創造的な個人がとり得る唯一まともな態度であったかも知れないのだ。



プーランク_A2
©Francis Poulenc collection, Paris



フランシス・プーランクは1899年、パリの裕福な製薬業の家庭に生まれた。母から手ほどきを受けたが、リカルド・ヴィニェスにピアノを習うのは10代半ば。サティに興味をもって、作曲に情熱を抱き、コクトーの周りにいて6人組にも数えられるようになる。兵役に行き、帰ってきてケクランに作曲を学んだ。ベルナックの伴奏者としてたくさん歌曲も書いた。1920年代にディアギレフのバレエ・リュスに作曲した「牡鹿」が大成功。1930年代にはカトリックの信仰を深めていった。第二次大戦中も占領下のパリに留まり、レジスタンスに向かう詩人の言葉に曲をつけた。戦後は、最初のオペラ『ティレジアスの乳房』で成功を得た。いまから50年前の1963年、コクトーのオペラ『地獄の機械』を作曲するさなかに、心臓発作で急死した。

いろいろなジャンルの曲を書いたが、調性と明解さを捨てることはなかった。「私は和声を革新するような作曲家ではないが、他の人の和声を活用して、新しい音楽を書く余地はあると考えている」と彼は1942年に書いたが、それはまったく正しかった。

晩年の管とピアノの作品を聴いても、瞬間の移ろいのなかに、どれだけの情感の機微が折り込まれているかはすぐにわかる。陽気な漂泊はすぐに憂いを湛え、それさえ仄かな風のように連れ去ってしまう。忘れがたい香気や悲哀を、傷跡のように残して。

こういうことは、たいてい天才にしかできない。多義的な感情そのものは誰しも身をもって知っているが、プーランクやモーツァルトといったごくかぎられた才覚だけが、それをあからさまな叫びや告白ではなく、洗練された明快さのうちに描き出すことができる。62年のクラリネット・ソナタなんて極めつけだ。僕はいつもたまらなく泣き出しそうになる。

プーランクは決して軽妙洒脱に洗練された音楽を書いただけではない。その軽快さがどれだけの深遠と洞察に立つものかは、人間的な奥行きをもつ演奏家の共感をもって奏でられてこそ語り得る。

東京オペラシティの秋の夕べでは、1950年に書かれた宗教大作《スターバト・マーテル》を聴けるのも貴重な機会だし、変幻自在の器楽的想像力においても、プーランクの独特の身振りが洗練のうちに伝えるもののなかには、恐るべき深淵が覗いている。

音楽会は2部構成の多彩なもの。1920年代から死の前年までの楽曲を含む。まずはプーランク自身の楽器ピアノで師ヴィニェスに捧げた小品や、旋律家としての天性を示す《メランコリー》が奏でられ、アポリネールによる歌曲《モンパルナス》、木管の名作ソナタ、六重奏曲へと進む。第2部はさらに編成を拡大し、《オルガン、弦楽とティンパニの協奏曲》、大曲《スターバト・マーテル》が堂々と演奏される。初期作から晩年曲まで、さまざまな楽器と人の声で奏でられるこのコンサートは、音楽家の芯に一貫した頑ななまでの意志を美しく描き出す好機となるだろうか。遊びと祈りの真剣な線上にプーランクが歩ませたのは、明快で優美な、鋼鉄のエスプリなのである。



LIVE INFORMATION


『没後50年記念 フランシス・プーランクの夕べ』
●10/23(水)19:00開演
出演:鈴木雅明(指揮)/菊地裕介(P)/臼木あい(S)/上野由恵(fl)/大島弥州夫(ob)/伊藤 圭(cl)/黒木綾子(fg)/福川伸陽(hr)/鈴木優人(org)/新国立劇場合唱団/東京フィルハーモニー交響楽団
[第1部]プーランク:メランコリー(1940)[ピアノ]/3つの小品(1928)[ピアノ]/モンパルナス(1941-1945)[ソプラノ&ピアノ]/フルート・ソナタ(1956)[フルート&ピアノ] /クラリネット・ソナタ(1962)[クラリネット&ピアノ]/六重奏曲(1932, 改訂版1939-1940)[フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、ピアノ]
[第2部]プーランク:オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲(1938)[オルガン&弦楽オーケストラ&ティンパニ]/スターバト・マーテル(1950)[ソプラノ&合唱&オーケストラ]
会場:東京オペラシティ コンサートホール
http://www.operacity.jp/