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Jean-Guihen Queyras 『Britten: Suites for Cello Solo』

カテゴリ
O-CHA-NO-MA PREVIEW
公開
2013/10/14   10:00
ソース
intoxicate vol.106(2013年10月10日発行号)
テキスト
text :前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)


ケラス_A



ブリテン生誕100年の誕生日に演奏する思い出の無伴奏

ときどき「もしもバッハが現代に生きていたら、どんな音楽を書いただろう?」といった、無邪気な疑問を耳にすることがある。チェロという分野に限って言えば、そんな仮定は全く無意味だ。なぜなら、ベンジャミン・ブリテンが作曲した3曲の《無伴奏チェロ組曲》がすでに存在するから。ジャン=ギアン・ケラスのような名手がそれを弾くとなれば、なおさらである。

ブリテンはバッハと肩を並べる作曲家ではないかもしれないが、100年にひとり出るか出ないかの才能の持ち主――今年その生誕100年を祝うだけの価値がある――だった。その彼が、これも100年にひとり出るか出ないかのチェロ奏者ロストロポーヴィチのために、レーガー以来おそらく史上初めて無伴奏チェロ組曲の作曲に取り組んだ。多楽章形式、対位法、フーガといったバッハの伝統を踏まえつつも、ブリテンはレーガーにも、いわんやバッハにもなかった要素を作曲に投入した。それは“ロシア音楽”の伝統である。

いちばんわかりやすい例が最後の第3番だが、ブリテンはチャイコフスキーの歌曲を3曲引用した後、全曲の終わりをコンタキオン(死者を追悼する聖歌)で締め括る。そういう音楽が、やはりバッハを敬愛していたショスタコーヴィチ晩年の音楽と酷似してくるのは、偶然ではない。この第3番が作曲された前年の1970年、ブリテンがショスタコの交響曲第14番――他ならぬブリテンに献呈されている――のイギリス初演を振り、翌1971年のロシア訪問でショスタコと再会したという史実は、ブリテンの第3番の深遠なる音楽を考える上で、きわめて重要な意味を持っている。

そういう多義的な音楽を1998年のソロデビューアルバム録音の曲目に選んだケラス。その時点で、彼の名前はアンサンブル・アンテルコンタンポランのソリストとしてしか知られていなかったから、いま考えても非常に大胆な選曲だったというべきだろう。だが、18歳でロストロポーヴィチ国際コンクールに入賞して以来、「彼からは、どんな教師よりも大きな影響を受けた」と公言しているケラスのこと、ロストロと切っても切り離せないブリテンの曲を演奏することは、彼にとってひとつの大きな目標であったに違いない。

それから15年。バッハ、シューベルト、ドヴォルザークのチェロ音楽の名手として、世界に名だたる存在となった彼が、自身のルーツであるブリテンの《無伴奏チェロ組曲》を、他ならぬブリテン生誕100年の誕生日に演奏する。「もしもバッハが現代に生きていたら?」「もしもブリテンが現代に生きていたら?」「もしもロストロが現代に生きていたら?」。ケラスを聴きに来るに決まってるじゃないか。



LIVE INFORMATION


『ジャン=ギアン・ケラス 無伴奏チェロリサイタル』
●11/16(土)14:00開演
J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏会
●11/22(金)19:00開演
ベンジャミン・ブリテン生誕100年バースデー・コンサート
会場:東京オペラシティ コンサートホール
http://www.operacity.jp/



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