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池田亮司 『supercodex』

カテゴリ
o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2013/10/18   10:00
ソース
intoxicate vol.106(2013年10月10日発行号)
テキスト
text : 町田良夫/音楽家・美術家


サウンドを超える「データ」体験。ラスターノートン3部作がここに完結!

池田亮司_J

池田亮司の新作『supercodex』(2013)は、ラスターノートンからリリースされている『dataplex』(2005)、『test pattern』(2008)に続く3部作最後の作品という位置付けのものだ。「サウンドのデータ」と「データのサウンド」の間にある可能性を探求するプロジェクトであるこれらの音響作品を、池田は映像を中心としたインスタレーションやライヴパフォーマンスと共にこれまで展開してきた。本作は、前2作を選別、再/脱/超構築したものらしい。池田の作品の特徴を成す信号音やノイズ、デジタルエラー音、グリッチ音などが、ラディカルに細かくエディットされ、一般的な楽音からはほど遠い、まさに「データ」と呼ぶにふさわしいほどまでに抽象化されている。

アコースティックな音は、「倍音」を複雑に伴い、その倍音の成分や音の立ち上がりから衰退までの倍音変化が「音色」となって我々に知覚される。それは、全て物理現象の結果である音響であり、我々のその知覚体験がDNAレベルにまで記憶として刻み込まれているがゆえに、瞬間的に高度に反応しているのであろう。ところが池田の作品にそれは通用しない。リズミックな部分を除いては、一般には馴染みのない音響体験に感覚が翻弄されるのだ。音が物理現象としてではなく、音そのものがまるで物質か、概念であるがごとく、目の前に出現するほどに昇華されている。

池田の音響作品が語られる時は、「音楽」という言葉よりも、音、データ、量子といった意味の幅を広げにくいピンポイントな言葉が用いられる。音楽は身体性を伴うが、池田の作品は概念的だ。音という物理現象であるにも関わらず概念的というのも矛盾した話であるが、作品が概念的として知覚させるまでに作り込まれているということなのであろう。

意味や属性が削ぎ落とされた音が織りなす池田の世界、もしかすると、我々は音楽を体験しているのではなく、まだ名前のついていない、新しい芸術体系を既に体験しているのかもしれない。



LIVE INFORMATION


KYOTO EXPERIMENT 2013 池田亮司『superposition』
●10/25(金)19:30
●10/26(土)14:30/19:30
会場:京都芸術劇場 春秋座
http://kyoto-ex.jp/program/ryojiikeda/

ryoji ikeda “supercodex live set” world premiere
●11/8(金)、9 (土)
会場:渋谷WWW
www-shibuya.jp

池田亮司「systematics」
●11/1(金)~12/21(土)
会場:ギャラリー小柳(銀座)
www.gallerykoyanagi.com