言葉を駆るサブカルマシーン
山崎春美…70~80年代の日本のサブカルチャーやアンダーグラウンド・ロックをリアルタイムで体験してきた人々で、この名前を素顔でスルーできる者は誰もいないはずだ。YMOやパルコやアイドルがこの時代の表の顔だとすれば、山崎春美こそは裏の顔であり、地下で蠢いていたあらゆる“禍々しい事象”のアイコンではなかったか。しかし同時に春美は、人脈的にも精神的にも微妙なスタンスでメジャー文化ともつながりながら、アンダーグラウンドの狂気を地上に送り続ける存在でもあった。日本のサブカルチャーがオタク的属性に支えられた世界でも極めて特殊なポジションを築き上げてゆく過程で、ロック・シンガー(ガセネタ、タコ他)/文筆家/編集者としての春美のトリックスターとしての動きが果たした役割は、一度しっかりと検証されるべきだろう。
ということで、遂に登場した山崎春美の初の著書。過去に雑誌などに発表された膨大な量の文章から編まれたもので、巻末には、それらの文章を補足する形で3万字もの解題エッセイと自筆年譜も追加されている。1958年に大阪に生まれた春美が、高3の時に阿木譲の『ロック・マガジン』に持ち込んだデビュー作(スパークス論)をはじめ、編集者として関わっていた松岡正剛の『遊』や伝説の自販機本『JAM』『HEAVEN』などでのコラムやリポート、書評、ロック・ソング(ラモーンズやスパークス他)の訳詩などがぎっしりと雑多に詰め込まれている。どの文章にも共通するのは、圧倒的なスピードである。次々と溢れ出る言葉と競うように、爆発的妄想と冷徹な眼力を駆使して綴られてゆく文章は、とことん饒舌だが、しかし無駄なものは何一つない。それは、美しいフォルムを誇る、一種の詩と言っていい。傲慢と冷笑の言葉のひだに見え隠れする臆病と羞恥心…それはあまりにも文学的である。80年代の一時期一緒に至福団をやっていた町田町蔵がいつしか小説家として大成していったのを眺めながら、春美の不在を嘆いていたのは私だけじゃないはずだ。春美がこれからやるべきこと。それは小説を書くことだけだ。