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映画『大統領の執事の涙』

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公開
2014/01/20   10:00
ソース
intoxicate vol.107(2013年12月10日発行号)
テキスト
text : 北小路隆志


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©2013,Buttler Films, LLC. All Rights Reserved.



透明な“観察者”の眼差しによる激動のアメリカ史

1950年代後半から80年代にかけて、実に7人もの合衆国大統領に執事として仕えたアフリカ系アメリカ人男性セシル・ゲインズの生涯を軸に、20世紀後半のアメリカ史の激動が描かれる。ホワイトハウス――裕福な白人家庭に住みこみ、かれらの価値観を身につけたうえで家事労働に従事する、いわゆる“ハウス・ニガー”として育ったセシルにとって、この“白い家”という名称自体がさまざまな含意を帯びる――の有能な裏方であるセシルはいわば歴史の生き証人となるが、もちろんその家のあるじは大統領である。しかし、かれらは選挙での敗北や任期の限定、あるいは暗殺などによって次々と交代する運命にあり、皮肉にもかれらに仕える執事のほうが長期間にわたって家に居座る権利を獲得するだろう。執事はあくまでも執事であって、実際の政治に介入するわけではなく、ただ彼の目に映るイメージや耳に届くサウンドを通して、大統領周辺の出来事を見聞きするだけである。物語に関する情報をどこまで観客に伝えるかが、映画における演出の核のひとつだが、本作では、主人公と観客を情報の点で一致させること、つまりセシルが見聞きする情報だけを僕ら観客も共有できるとの戦略が基本的に選択され、執事は重要な会議の席などから追い払われるため、僕らはホワイトハウスでの出来事を限定的にしか知り得ない。少なくともホワイトハウスにおいてセシルは、文字通り、僕らの目や耳になるのだ。

『プレシャス』の成功で、一躍、アフリカ系アメリカ人映画作家を代表する存在として注目を集めるリー・ダニエルズだが、完成度の点での多少の犠牲をも厭わず、本作では20世紀後半のアメリカ史の大胆な再構築を企てる。それぞれ60年代後半に成人に達するセシルのふたりの息子を分つ運命を例にあげよう。公民権運動から次第に過激化する黒人解放運動に深入りすることで親との対立を深める長男と、おりしも泥沼化していたヴェトナム戦争で戦死する次男……。あまりにも極端な対比を浮かび上がらせるこの設定に、正直、ご都合主義の弊害を指摘することも可能だろう。ただ本作では、あまり固いことはいわずに(?)、著名な大統領が続々と登場する大河ドラマ的な趣向を楽しむべきなのだ。とりわけ、60年代から70年代にかけて過激な左派として鳴らしたジェーン・フォンダを、右派の大統領の代表格であるレーガンの夫人にキャスティングするなど、すぐれてアイロニカルな選択だし、フォンダ自身、実に楽しそうに演じているのだから……(ついでにいえば、セシルの同僚役のレニー・クラヴィッツもなかなかの好演!)。



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©2013,Buttler Films, LLC. All Rights Reserved.


60年代アメリカにおける黒人解放運動の特筆すべき戦略が、セシルの生き方との対比で、あらためて浮き彫りになる点に注目したい。当時の黒人のキャリアとしては最良の地位を得たかのようなセシルだが、先に触れたようにかれの生き方は、みずからの姿を消し去り、目前に存在する世界への介入を徹底して控える立場の堅持にあり、そうであるからこそ、“観察者”である執事の目線を通したホワイトハウスのありさまを描く本作での物語が成立するのだった。しかし、かれの長男の世代の黒人たちが身を投じる解放運動は、まったく逆の戦略を選ぶ。たとえば、白人用と有色人種用の席が分けられたレストランに黒人たちが乗りこみ、あえて白人の席に居座る初期の抗議行動の模様が描かれるが、かれら勇敢な黒人たちは白人たちの冷たい視線や罵倒にさらされたあげく暴力の餌食となり、ブタ箱入りを余儀無くされるだろう。ただ、そうした“敗北”それ自体がかれらのデモンストレーションの一環なのだ。白人用の席に居座ることでただちに長年つづいたアパルトヘイト的体制が転覆できるはずもないが、まずはかれらの声をアメリカ社会全般に響きわたらせること。長年沈黙を強いられ、虐げられてきた人々は、せいいっぱいの大声をあげねばならず、非暴力による(突飛とも映る)抗議行動は、それを制圧する側の暴力をエスカレートさせ、だれの目にも明らかな水準で可視化させる。本作で描かれるように、“金持ちのおぼっちゃま”にすぎないが、それなりに正義感をもつケネディは、テレビ画面上で流れる白人側の暴力的な弾圧の光景を前に、これはどこの国での出来事なのだ……とわが目を疑い、黒人側の擁護者の立場を鮮明にするにいたるのだ。その後、ケネディと弟のロバート、さらにはマーティン・ルーサー・キングら黒人側の指導者も道半ばにして銃弾に倒れる。そうした結果を受けて長男は武力闘争も辞さないブラック・パンサー党に加わるが、かれらの派手なファッションにしても周囲の視線を引きつけ、黒人の存在とともに社会の矛盾を可視化する戦略の延長線上にある。こうして、セシルと長男の対立は、透明さを保つことで生き延びを図る既存の戦略と、そんな透明性の欺瞞を暴き、社会の矛盾をはっきりと可視化する、新たな戦略との差異を際立たせる。“視聴覚芸術”である映画において、“見せない戦略(演出)”と“見せる戦略(演出)”の攻防を描くことにかける映画作家の情熱を、僕らははっきりと本作に見て取ることができるはずだ。



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©2013,Buttler Films, LLC. All Rights Reserved.



それにしても、執事の仕事とはなにか。ハウス・ニガーは黒人にある種の尊厳を与えることに貢献した職種だ、とのキング牧師の言葉が映画のなかで聞かれるが、セシルの長男からすれば、白人に仕える“奴隷”である点に変わりない。しかし考えてみれば、なにかに仕えることは、無条件に屈辱的な事態を意味するのか。僕らはいずれにしてもだれかに仕えるのであり、あらゆる仕事はなにかに仕えることではないか。そのなにかが、神や国家、正義であれ、なんらかの(拝金主義も含む)理念や創作であれ……。僕らは生涯をかけて仕えるべきなにかを探し、そんな点で、セシルが最終的に達する喜びやそれに伴う苦悩も僕らにとって他人事ではない。おそらく現合衆国大統領が流したとされる涙でさえも……。



映画『大統領の執事の涙』


監督:リー・ダニエルズ 
脚本:ダニー・ストロング  
音楽:ロドリーゴ・レアン
出演:フォレスト・ウィテカー/オプラ・ウィンフリー/ジョン・キューザック/ジェーン・フォンダ/キューバ・グッティング・Jr. /テレンス・ハワード/レニー・クラヴィッツ/ジェームズ・マースデン/デヴィッド・オイェロウオ/ヴァネッサ・レッドグレーヴ/アラン・リックマン/リーブ・シュレイバー/ロビン・ウィリアムズ/他

◎2/15(土)より、新宿ピカデリー他全国ロードショー
後援:アメリカ大使館 
提供:カルチュア・パブリッシャーズ 
配給:アスミック・エース(2013年 アメリカ  132分) 
©2013,Buttler Films, LLC. All Rights Reserved.

http://butler-tears.asmik-ace.co.jp/