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ジャン=ジャック・ナティエ『レヴィ=ストロースと音楽』

カテゴリ
o-cha-no-ma LONG REVIEW
公開
2014/01/24   10:00
ソース
intoxicate vol.107(2013年12月10日発行号)
テキスト
text : 高見一樹


割れ鍋に綴じ蓋〜知性と野性

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ジャン=ジャック・ナティエは、日本でも比較的よく読まれている音楽学者だと思う。『音楽記号学』(春秋社)、ピエール・ブーレーズについての『標柱』、『参照点』などの著作など、音楽研究者やプーレーズを指揮者、作曲家としておっかけている人にとっても、おなじみの音楽学者という印象だ。その彼が年に書いた 『レヴィ=ストロースと音楽』(アルティスパブリシング)の翻訳が出版された。

数年前、菊地成孔さんが『野生の思考』というクロード・レヴィ=ストロースの本のタイトルからとったアルバムをリリースした際、朝日カルチャー教室に招かれて小沼純一教授と『レヴィ=ストロースと音楽』について対談したことがあった(実際のリリースからは随分と時間がたっていた)。そのとき話題になったのが、レヴィ=ストロースのラヴェルの『ボレロ』分析であり、『悲しき熱帯』における民族音楽の記述の貧弱さだった。

開のジャングルに溢れるサウンドスケープにほとんど触れず、それどころかそんな辺境においてもブラームス、ワーグナーの音楽を愛聴する彼の西欧音楽への偏愛ぶりと未開の土地に住む野生の人々の知性を構造的に理解しその素晴らしさに光を当てた文化人類学者としての彼のあまりのギャップについて語り明かした。また彼の用いた音楽分析の道具があまりにアナロジーにすぎ、かつて現代思想家たちが引用した数式などがいかにインチキだったかを暴いたソーカル事件などをひき、100歳まで生きたレヴィ=ストロースの音楽への屈折した愛情にまで踏み込んだ興味深い対談だった。

あらためて音楽学者によるレヴィ=ストロースと音楽についての分析を読んでみると、耳と目、記号化と構造化、生のものなのと火にかけられたものの危ういリレーを経て、我々は音楽について書き、読み、そしてふたたび聴いているのだとつくづく考えさせられ、音楽を人文科学の最大の謎と信じて疑わないこの学者のロマンティークが今も音楽という鍋に蓋をしているんじゃないかと疑ってしまうのだ。