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スイスの名指揮者ペーター・マーク(1919~2001)生誕100年記念特集


【参考映像】ベートーヴェン《田園》第4楽章「嵐」より
ペーター・マーク指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団
1998年収録(同管弦楽団公式YouTubeページより)

2019年5月10日(金)、スイスが生んだ世界的指揮者、ペーター・マーク(1919~2001)が生誕100年の誕生日を迎えました。1962年以降、日本へも度々来演し、多くの名演奏を披露してくれたこの名匠の生涯をCDや映像を交えながらご紹介いたします。

若き日
ペーター・マークは神学者の父とヴァイオリニストの母の間に1919年5月10日、サンクト・ガレンで生まれました。高名な神学者、カール・バルト(1886~1968)に神学と哲学を学ぶ一方、ポーランドの作曲家チェスワフ・マレク(1891~1985) に作曲とピアノを学び、アルフレッド・コルトー(1877~1962)のマスタークラスに参加しました。19歳の時にはルツェルン音楽祭のトスカニーニ指揮、ヴェルディのレクイエムでアシスタントを務めました。その後、ピアニストとしてフルトヴェングラーとベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を共演した際、フルトヴェングラーから指揮者転向を勧められ、オペラハウスのコレペティトールとして指揮者修行を開始。その後、スイス・ロマンド管弦楽団でアンセルメのアシスタントを務めました。

英デッカへ録音開始
この時期、1950年に早くも英デッカと契約し、モノラル時代から録音を開始しています。ここでは1961年までの英デッカへの録音をご紹介いたします。


【参考音源】メンデルスゾーン:交響曲第3番《スコットランド》より終楽章
ペーター・マーク指揮ロンドン交響楽団
Provided to YouTube by Universal Music Group

 

順調なキャリア形成と突然の音楽活動停止
1952年から1955年にデュッセルドルフ歌劇場でカペルマイスターを務め、その後の4年間はボン歌劇場の音楽総監督を務めました。1959年にはコヴェントガーデン王立劇場の《魔笛》公演、グラインドボーン音楽祭の《フィガロの結婚》公演、1962年にはシカゴ・リリック歌劇場での《コジ・ファン・トゥッテ》公演を成功させ、モーツァルト指揮者としての世界的な名声を獲得しました。

1962年6月のフー・ツォンと共演したシューマン&ショパンのピアノ協奏曲の録音をもって、哲学的および宗教的研究に集中するため音楽活動を一時停止。約2年間、香港の近くの仏教の僧院で修行を積みました。

ペーター・マークの公式サイトには、上記のように1962年から1963年の2年間、音楽活動を停止したとありますが、マークはこの間、1962年9~10月、および1963年9~10月に来日し、日本フィルハーモニー交響楽団に客演しています。修行先の香港が地理的に近かったことで来日が実現したのでしょう。1963年来日時の日本フィルとのセッション録音がタワレコ限定盤で発売中。また、ヨーロッパ帰還後の1965年にパイネマン(vn)と共演したドヴォルザーク、米VOXへ録音したモーツァルトとシューベルトを併せてご紹介いたします。

 

ヨーロッパ楽壇への復帰
ヨーロッパ楽壇復帰後の1964年にはウィーン・フォルクスオーパーの常任指揮者となり、1969年にはミラノのスカラ座にデビュー(マスネの《マノン》)、1972年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビューしました(《ドン・ジョヴァンニ》)。同じ年にはパルマ王立歌劇場の芸術監督、1974年にはトリノ王立歌劇場の芸術監督に就任しました。同時にフェニーチェ劇場でも指揮を執り、《トリスタンとイゾルデ》や《こうもり》など広範なレパートリーで成功を収めました。

上記したように、ペーター・マークのキャリアは主にオペラによって築かれました。ここではマークが録音したオペラ全曲盤とアリア集をご紹介いたします。


【参考音源】ヴェルディ:歌劇《ルイザ・ミラー》より「穏やかな夜には」
パヴァロッティ(T)マーク指揮ナショナル・フィル
Provided to YouTube by Universal Music Group

 

1983年に彼はパドヴァ・ヴェネト管弦楽団の音楽監督となり、亡くなるまでARTSレーベルへベートーヴェンとメンデルスゾーンの交響曲全集を始めとする数多くの録音を残しました。但し、現在ARTSレーベルは日本での代理店が無くなっている状態で、現在入手することができません。復活を期待したいと思います。

東京都交響楽団との強い絆
日本の聴衆とペーター・マークを強く結びつけたのは1981年から1995年にかけて6度の客演を行った東京都交響楽団との演奏会でしょう。これらの演奏会の中から、これまでに6枚分がCD化されていますので、ここに紹介いたします。

 

 

若手演奏家の育成
1988年には若手歌手と指揮者の育成のため、共同でオペラ上演を準備する「演劇ワークショップ」の創設を提案。このプロジェクトはLa Bottegaと呼ばれ、1989年の《ドン・ジョヴァンニ》で始まりました。歌手たちは「トーティ・ダル・モンテ・コンクール」で選抜され、レイラ・ジェンチェルやレジーナ・レズニックなどの一流歌手が開催したヴォーカル・マスタークラスによって準備されました。こうした歌手陣に若手ディレクター、アシスタント、そして共同研究者が加わりました。このプロジェクトからはモーツァルトのダ・ポンテ三部作と《魔笛》、《ファルスタッフ》、《リゴレット》、《カルメン》の上演に繋がりました。

2001年4月16日、ペーター・マークはヴェローナで惜しまれつつ亡くなりました。翌5月には読売日本交響楽団へのの客演が予定されていました。82歳でした。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)


【参考音源】ベートーヴェン:交響曲第7番より第2楽章
ペーター・マーク指揮パドヴァ・ヴェネト管弦楽団
Provided to YouTube by The Orchard Enterprises

カテゴリ : Classical

掲載: 2019年05月10日 00:00