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インタビュー

黒夢 『黒と影』



どこにも属さない、何にも囚われないスタンスでいたからこその存在感。解散を経たからこそあるいまの2人の関係性——復活以降、充実した活動を展開する彼らは、デビュー20周年イヤーを迎えていっそう加速する!



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〈清春と人時〉であることが重要

黒夢にとって実に13年ぶりのオリジナル・アルバムとなった『Headache and Dub Reel Inch』が発表されたのは2011年11月のこと。それから2年と少々を経て完成された新作は、『黒と影』と題されている。復活後第2作という位置付けになるわけだが、清春(ヴォーカル)はそれについて「踏み絵であり鬼門だと思う」と語っている。

「復活後最初の作品というのは、それこそ再結成ライヴと同じで〈いったいどんなふうになってるんだろう?〉という好奇心をそそるものじゃないですか。それに対して第2弾というのは、ちょっと熱が落ち着いたかのようなイメージで勝手に捉えられることが多い」(清春)。

彼があえてこんな言葉を吐くのは、この新作がそうしたありがちな先入観を打ち砕くに十分なものであることを確信しているからだろう。彼は前作と今作の差異について、次のように説明している。

「黒夢は遠い過去に一度終わってるわけです。だけど、もしもあのまま続いていたなら2011年あたりにはこんなことをやってたんじゃないか。前作はそういった想定に基づいて作られたものだったんです。時代は当然のように変わって、いまなりの文明の利器みたいなものもあって。僕らは常に変わり続けてきたわけだから、きっとそういった変化も受け入れながら、過去とは違うことをやっていたはずだと考えたわけです。例えばデヴィッド・ボウイが昨年出したアルバム(『The Next Day』)は、昔のボウイの作品に近いムードがあって、誰もが〈これぞボウイならではの名作!〉みたいな解釈をしたじゃない? 前回の僕らはむしろそれとは逆のことをしたんだと思う。ただ、僕らも常に違うことをやりたがるタイプなんで、今回も当然のように変わっている。言ってみれば、現代的なテクノロジーとの融合を狙った前作に対して、今回はむしろヒューマンな作品にしようと思った。しかも黒夢の新しい歴史というよりも、僕と人時の人生に残るようなものにしたいと思って」(清春)。

清春と人時。ヴォーカリストとベーシストという変則的な成り立ちをしたこの2人組は、いわゆる定型的なバンドでは求め難い音楽的自由を謳歌している。表題通りのダークな色調の楽曲から、キャッチーでアッパーなナンバーまで、実に幅広い楽曲群が顔を揃えているが、参加ミュージシャンの顔ぶれも、K-A-Z(ギター)やGO(ドラムス)のみならず、downyやCrossfaithのメンバーから、スタジオワークの達人として名高いプレイヤーたちまで、実に幅広い。それだけでも話題性十分だが、清春は「どんな人たちがアルバムに参加しているかはさほど重要ではない」と言い切る。

「黒夢の世間的イメージからすれば、〈なんでこの人が参加してるんだろう?〉と思われるような顔ぶれが名を連ねてますよね。実際、僕らみたいなジャンルというのは閉鎖的というか、他の音楽から隔離されたものとして見られがちなところがある。だけど実際にそういった人たちと接してみると、僕らからの影響を口にしてくれたり、アルバムに参加することについて光栄に思ってくれてたり。だけど重要なのは誰が参加しているかじゃなく、僕らが相変わらず自分たち本位で音楽を作っていて、昔よりも自分たち自身について客観視できてるってことじゃないかと思う。もちろん素晴らしいミュージシャンたちの協力が得られたけど、それ以上に今回は〈僕と人時がいっしょにやってる〉という実感が強くて、そこが大事。ある意味、黒夢であるかどうかよりも、〈僕と彼〉であることのほうが重要というか」(清春)。



運命みたいなもの

こうした発言に呼応するように、人時(ベース)もまた、次のように話している。

「アルバム制作のプロセスのなかで、〈黒夢の作品なんだからこうあるべき〉みたいな意識が働いたことは皆無でした。曲のタイプに応じていろんな人たちに参加してもらっていますけど、そこで〈黒夢の音源だから、こうしてほしい〉みたいな要求をすることもなかった。結果、すごく幅の広い作品になったと思う。しかもキャッチー。僕自身にとってのこのアルバムの第一印象がそれで。実際の作業開始以前から『黒と影』というタイトルが決まっていて、なんとなくそれが指標になっていたところはあるんだけど、必ずしも闇一色のアルバムというわけではない」(人時)。

今作には人時の作曲によるナンバーもこれまで以上に多く収録されており、なかには彼が作詞を手掛けているものまである。清春は、「どちらがどの曲を書いているのかは、よほどの耳の持ち主じゃないとわからないだろうと思う」と笑う。それくらい2人が同化している部分が大きくなりつつあるということでもあるだろうし、双方がお互いの持ち味を把握しきっているということでもあるのだろう。そして何よりも驚かされるのは、さまざまなヴェクトルを持った、さまざまな演奏者たちの手による楽曲が、いずれも黒夢ならではのものに聴こえるという事実である。

ところで2014年は、黒夢にとってデビュー20周年のアニヴァーサリー・イヤーにあたる。人時は「こうして20年という節目を黒夢として、この2人で迎えられることがすごく貴重だと思う」と言い、清春は「楽しんだり悩んだりしながら、いまも不自由なく音楽を作れる状態にあることが幸運だと感じる」と言う。彼は、さらに次のように言葉を続けた。

「僕らは常に、何かに対して反逆精神を持ち続けてきた。〈ヴィジュアル系〉と呼ばれる世界から登場していながら、誰よりも早くその言葉に拒絶反応を示してみたり、多くの人たちから求められているときに活動に終止符を打ってみたり。メジャーに対してもインディーズに対してもアンチなところがあるし、メディアとかで持て囃されてるような人たちには同調しない。いつも王道に近いところにいるのにメインストリームにも行こうとしない。だけど逆に、ホンモノのアンダーグラウンドの人たちからは、すごく王道的だと思われていたりする。すごく珍しい存在だと思うんですよね、自分たちでも」(清春)。

それこそが真の〈オルタナティヴ〉ということかもしれない。僕がそう指摘すると清春は頷き、次のように発言を締めた。

「僕らは、こちら側からは誰にも擦り寄っていこうとしない。そんなバンドが続いてるというのもおもしろいと思うんです。もうひとつ思うのは、一度解散して良かったなということ。それがいま現在のお互いの関係性にとって大きな意味を持っていると思う。解散したからこそ復活もできたし、〈いま〉がある。ずっと続けようとしていたら、いまはいっしょじゃなかったかもしれない。これはもう、運命みたいなものなんです」(清春)。



▼新作に参加したアーティストの作品。
左から、downyの2013年作『無題』(felicity)、Crossfaithの2013年作『APOCALYZE』(SMALLER)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2014年01月22日 18:00

更新: 2014年01月22日 18:00

ソース: bounce 363号(2014年1月25日発行)

インタヴュー・文/増田勇一