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カサンドラ・ウィルソン

カテゴリ
o-cha-no-ma ACTIVIST
公開
2012/07/03   10:26
ソース
intoxicate vol.98(2012年6月20日発行号)
テキスト
文 高見一樹

ディーバの死角


Cassandra_Wilson

1993年にリリースされた『ブルー・ライト』が、彼女の音楽の組成を決定した。96年に続いて発売された『ニュー・ムーン・ドーター』は、グラミーのベ スト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞し、カサンドラ・ウィルソンの名前は世界のジャズファンの記憶に刻まれた。この2枚のアルバムは、後に ノラ・ジョーンズを世に送り出したクレイグ・ストリートがプロデュースした。ブランドン・ロスのギターを中心にしたアンサンブルで、アーリーブルースの名 曲や、ジョニ・ミッチェル、ジャズのスタンダードを歌ったものだった。ブランドンによれば、『ブルー・ライト』制作当時、クレイグは工事現場ではたらき、 レコーディングセッションの終わりにはブランドンとポケットにのこった20ドルを分け合って、なんとかセッションを続けたという。当時まだ評価のさだまら なかったブランドンとクレイグの才能にカサンドラはすべてを委ねてしまっていたわけだが、彼女自身が常に感じていた彼女の声と響き合うトーナリティーがそ こに聴こえていたのだろう。その後も、この2枚のアルバムが示したロードマップを、彼女は今も優雅に歩き続けている。

カサンドラは、80年代後半にサックス奏者/理論家であるスティーヴ・コールマンが書き換えようとしたジャズの音楽的テリトリーの中で、彼女の生地である ミシシッピーからアメリカ南部の音楽的領域を見直したヴォーカリストの一人だ。カサンドラ以前/以降とも言えるヴォーカル・ミュージックのある種の更新は 彼女の80年代の理論武装を経て、90年代には前述の2枚のアルバムによって現実化し、その後普遍化してしまった。それはジャズの名門ブルーノートのディ レクションにも決定的な影響を与え、あらゆるヴォーカリストのポジションの視点を数ミリ程度、ずらした。たとえば99年にクレイグがプロデュースしたミ シェル・ンデゲオチェロのサード・アルバム『ビター』は、ワシントンDC出身のベーシスト/ヴォーカリストが、この数ミリのずれによって獲得したまったく 新しいヴォーカル・ミュージックだった。

しかしその後、ノラ・ジョーンズの出現を準備したカサンドラ自身が作り上げたヴォーカル・ミュージックの領域は、ノラによって書き換えられたかのようだ。 カサンドラの声は、それ自体が固有の呼吸とフィジカルによって叶えられた独特のものだ。ブルーノートから移籍し、あらたな場所から、ふたたび彼女自身の音 楽的領域が更新されることを期待したい。