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(第239回)ブログを書くように究極のポップスを作り上げるカメラ・オブスキューラ

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2013/09/10   15:00
更新
2013/09/10   15:00
テキスト
文/久保憲司


ロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返るコラム。今回は、瑞々しいギター・ポップ・バンドを多く輩出するグラスゴーの5人組、カメラ・オブスキューラのニュー・アルバム『Desire Lines』について。それはブログを書くような自然体で作り上げられた、究極のポップ・アルバムで——。



カメラ・オブスキューラの新作『Desire Lines』はいまの究極のポップ・アルバムですね。メロディー、音色、空気感、申し分ないです。

79年に、エルヴィス・コステロの3作目『Armed Forces』を聴いた時と同じ感動が甦ってきました。

僕は『Armed Forces』をポップ史に残る傑作だと思っています。こんなにもポップな曲が玉手箱のように詰まったアルバムはビートルズでも作れなかったでしょう。

当時のチャートを見ると、パンク、ニューウェイヴの追い風に乗って作った傑作『This Year's Model』(78年)は、イギリスで4位、アメリカでは30位。リンダ・ロンシュタットが“Alison”をカヴァーして、イケてるアメリカの若者やオッサン、オバハンはみんなエルヴィス・コステロを車で聴くという気運のなか、〈どうだ〉と出したのが『Armed Forces』だった。

このアルバムが出た時、僕は15歳だったけど、〈うわっ、ムッチャ全力できてるな〉というのはよくわかった。

79年頃というのはパンクも終わって、XTC、ワイヤー、ウルトラヴォックス、トーキング・ヘッズ、ディーヴォ、P.I.L、などがおもしろくて変わったアルバムを出していた。でも、どの作品も力が抜けていて、それがカッコ良かった。『Armed Forces』は、そんなアルバムと真逆だった。

『Armed Forces』の力の入りようには、〈パンク以降の音楽を世界で認めさせてやるぞ〉というコステロの使命感があったと思う。

しかし、『Armed Forces』は全英2位、全米10位で終わった。こんな凄いアルバムを出しても首位を取れなかったことを思うと、コステロの落胆は激しかっただろうなと思います。次に出した『Get Happy!!』(80年)も全英2位、全米11位。しかし、その後は『Trust』(81年)が全英9位、全米28位という感じで、チャートの上位に食い込むことはなかった。それでヤケになって、『Almost Blue』という暗いアルバムを作ったり、『King Of America』(86年)という皮肉を込めたタイトルのアルバムも作ったり。

僕はいったい、何の話をしてるんでしょうね。いまの人たちはチャートとか興味あるのかな?という話です。カメラ・オブスキューラを聴いていると、チャートのことなんか一切気にしていない気がします。自分に起きた出来事を日記のように曲にしていっている感じ。コステロもそうなんですけど、コステロは悩み苦しんでいたなと。

いや、もちろん、カメラ・オブスキューラも悩んでいますよ。2011年にキーボードのキャリー・ランダーが癌であることが判明し、バンドは活動休止していた。そして、そのサウンドは地元のグラスゴーを経て、スウェーデンをブレンドし、アメリカへと上手く着地している。

例えば、ニコの『Camera Obscura』(85年)を聴くと、そのバックグラウンドにはきっといろんなことがあるんだと思う。でもカメラ・オブスキューラの音楽はそんな苦労を一切見せない。説教臭い小説じゃなく、ブログのように、僕たちに〈わかるでしょ?〉と語りかけてくる。

これこそが、僕は究極のポップスなのだと思うのだ。

がんばったコステロには申し訳ないけど、いまの人たちは本当に自然体で、自分たちの音楽を表現しているのだ。カメラ・オブスキューラのような優れたポップスを語る時、みんなビーチ・ボーイズやウォール・オブ・サウンドを出してきたりするけど、彼らはもう、ブログを書くように究極のポップスを作っていっているのだ。それを聴いて、オッサン世代は〈新鮮だな〉と思い、若い子たちは同じような感覚を共有していっているのだろう。