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映画『危険なプロット』

カテゴリ
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公開
2013/10/03   20:55
ソース
intoxicate vol.105(2013年8月20日発行号)
テキスト
text:前島秀国(サウンド&ヴィジュアル・ライター)


危険なプロット_A
©2012 Mandarin Cinéma - Mars Films - France 2 Cinéma –Foz



“続き”が読みたい。先が知りたい。──文学における最も原初的な欲望に焦点をあて、書き手と読み手の“共犯関係”の寓話を映画という形で見事に表現!

有名な小説の映画化や、文学者を主人公にした映画は世に数多く存在するけれど、“書く”という行為あるいは“文芸”そのものを題材にした映画の成功作は、実はそれほど多くない。ウディ・アレンのように映画作家本人が優れた書き手でもある場合をのぞいて、文学的なモノローグや凝った叙述というのは、文章の形でそのまま登場したとたん、映画の中でひどく退屈に感じられてしまうからだ。確か、ルキノ・ヴィスコンティの評伝の著者モニカ・スターリングが書いていたと思うが、ヴィスコンティの『ベニスに死す』の主人公の職業が小説家から音楽家に変更された最大の理由は、文学性豊かな文章が登場しても、観客の共感が得られにくいとヴィスコンティが判断したからである(その点、マーラーの《アダージェット》は絶大な効果を発揮した)。

フランソワ・オゾン監督の新作『危険なプロット』は、その“書く”という行為を真正面から扱い、しかも最後まで観客を飽きさせないという困難な課題を見事にクリアしている。これまで、オゾンの作品をご覧になった読者なら、『スイミング・プール』の推理作家や『エンジェル』の女流作家など、この監督が物語の“書き手”を好んで描いてきたことをご存知だろう。ところが、本作に登場する“書き手”は、大作家でもなんでもない。没個性の制服を強制された高校生が溢れかえるリセ――皮肉なことに、校名は「ギュスターヴ・フローベール」!――の教室の最後列に座っている16歳の内気な少年なのだ

2年C組の担任を受け持つことになった国語教師ジェルマン(ファブリス・ルキーニ)は、生徒たちの凡庸な作文を添削中、クロード(エルンスト・ウンハウアー)の文章に注目する。その内容は、大体こんな感じだ。以前から友人ラファ(バスティアン・ウゲット)の家庭に興味を抱いていたクロードは、ラファの宿題の手伝いを口実にして、ラファ宅の訪問に成功する。宅内を興味深く探索するクロードは、リビングで「実に独特な中産階級の女の香り」を漂わせたラファの母エステル(エマニュエル・セニエ)と言葉を交わした……続く(à suivre)。 国語教師でなくても、この文章の“続き”を読みたくなるのが人情というものだ。クロードの文章の表現力に感心したジェルマンは、文章添削と称してクロードに作文の個人授業を始め、作文の内容を面白くするよう、クロードをけしかける。「対象をありのままに見つめろ」「もっと葛藤を表現しろ」。このジェルマン、教師になる前は小説家を目指した過去があるから、かつて自分が諦めた夢を実現させようと、添削に熱が入ってくるのは当然である。一方、クロードにしてみれば、単に自分が見たありのままの現実を作文にしていただけのこと。作文を面白くするためには、現実を“面白く”しなくてはならない。こうして、クロードとジェルマンは文字通りの“共犯関係”を結び(実際に犯罪行為すら犯す)、ラファ宅の「家の中(Dans La Maison、本作の原題)」を舞台にした“物語”を作り上げていく。

“続き”が読みたい。先が知りたい。この、文学における最も原初的な“欲望”に焦点を当てることで、オゾンは書き手と読み手の“共犯関係”の寓話を、映画という形で見事に表現してみせた。その“欲望”とは、わかりやすく言えば“覗き見趣味”である。本作の物語が、徐々に『裏窓』や『めまい』のようなヒッチコック映画の様相を呈してくるのは、決して偶然ではない(詳細は触れないが、オゾンは本編の中であからさまに『裏窓』を引用している)。そのヒッチコック的な“覗き見趣味”がサスペンスに転じ、我々観客をハラハラドキドキさせてしまうところに、本作の成功の最大の理由があると思う。

その成功を影で支えているのが、『クリミナル・ラヴァーズ』以降のオゾン作品のスコアをすべて手がけているフィリップ・ロンビの音楽である。弦五部とピアノを主体にしたスコアは、明らかにフィリップ・グラスのミニマル的なスタイルを踏襲しているが、なぜそうしたスタイルをロンビが用いたかというと、ミニマル特有の“終わりなき繰り返し”が、本作のプロットと密接な関係を持っているからだ。

劇中、ジェルマンに提出するクロードの作文は、毎回「続く(à suivre)」というフレーズで締め括られる。英語で言えば「To be continued」、つまり“物語”がそこで終わらず、まだまだ続くということを示唆している。この「続く(à suivre)」というフレーズが、本編全体の中でリフレインの“繰り返し”の役割を果たし、映画全体に独特のリズムを与えていく。ロンビのスコアは、その「続く(à suivre)」のリフレインの繰り返しを、音楽的なメタファー(=繰り返し続けるミニマル)で言い換えたものに他ならない。オゾンのインタヴューによれば、ロンビは撮影前に本作の脚本を読んで音楽を先に作曲し(いわゆるプレスコ)、それを基にしてオゾンは演出プランを立てていったという。物語の“続き”を知りたがる我々観客の欲望を、映像と音楽で掻き立てていくオゾンとロンビの“共犯関係”は、本作においてヒッチコックとバーナード・ハーマンのそれに匹敵する完成度に達したと言えるだろう。



映画『危険なプロット』
監督・脚本:フランソワ・オゾン
原作:フアン・マヨルガ「The Boy in the Last Row」
出演:ファブリス・ルキーニ/クリスティン・スコット・トーマス/エマニュエル・セニエ/ドゥニ・メノーシェ/エルンスト・ウンハウワー/ジャン=フランソワ・バルメール/バスティアン・ウゲット/他
www.dangerousplot.com 
◎10/19(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか、全国ロードショー!
配給:キノフィルムズ(2012年/フランス/105分/R15+)
©2012 Mandarin Cinéma - Mars Films - France 2 Cinéma –Foz