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第18回 ─ 永遠の人に捧げる歌

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2006/10/19   18:00
ソース
『bounce』 280号(2006/9/25)
テキスト
文/林 剛

コモドアーズとライオネル・リッチーの普遍性をいまこそ再評価しよう!!


  パリス・ヒルトンの元親友であるニコール・リッチーの父親(養父)……なんて芸能ネタで騒がれずとも、まだまだ歌で人々を喜ばせることができる人なのだ。ライオネル・リッチー(49年生まれ)。“All Night Long(All Night)”“Hello”“Say You, Say Me”などの曲で世を沸かせたのは、もう20年以上も前のこと。いまや彼の偉業に接していない若いリスナーもいるだろう。だがリッチーは現役だ。90年代後半以降も、進化するシーンと無理なく歩調を合わせながら好盤をリリース。このたび登場した最新作『Coming Home』では現代を生きるR&Bシンガーとしては理想とも言える制作陣を招き、朗らかなリッチー節を聴かせている。

 そんな『Coming Home』は、今年7月に他界した元同僚のマイラン・ウィリアムズ(享年58歳)に捧げられたものだという。〈同僚〉とは、言うまでもなくコモドアーズ時代の、だ。68年、アラバマ州タスキーギの大学でふたつの学生バンドが合体し、6人組として結成されたコモドアーズは、まさにそのリッチーとマイランの個性を武器にソウル界に躍り出たヴォーカル&インストゥルメンタル・グループだった。ジャクソン5の前座をキッカケにモータウン入りした彼らは、キーボード奏者のマイランが作る“Machine Gun”や“The Bump”といったダンサブルなファンクでフロアを賑わせながら、サックス/ヴォーカルを担うリッチーが書いた“Easy”“Three Times A Lady”“Still”といったポップなバラードで愛を歌った。そんな好対照なスタイルの共存がグループの持ち味となり、70年代~80年代初めにかけて彼らは、辞書を引いて命名したというグループ名のごとく〈提督〉のような地位へと昇り詰め、後続のバンドにも影響を与えていく。しかしリッチーのバラード色が強まっていくなか、82年にリッチーはグループを脱退、その路線をさらに推進して国民的バラディアーとしてソロで成功を収める。一方、リッチー(ら)を失った新生コモドアーズは出だしこそ芳しくなかったが、元ヒートウェイヴのJD・ニコラスを迎えて出した“Nightshift”が大ヒット。皮肉にもこれを最後にモータウンを去ることとなったが、ポリドールを経て、マイランが抜けた89年以降も活動を続行中だ。

 と、コモドアーズ~リッチーの歩みをあっさりと振り返ったが、一貫して言えるのは、彼らの音楽は、リッチーの最新作も含めて、いい意味で〈ポップ〉な姿勢を崩していないこと。そう考えると、彼らの歴史がポップなソウルを量産したモータウンからスタートし、そこで成功を収めたことは興味深い。R&Bとポップスの境が消えつつあるいま、彼らこそ積極的に振り返られるべき人たちだと思うのだ。

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