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第31回 ─ [ 特別編 ]ORITOが愛した魂の歌

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2008/05/22   02:00
更新
2008/05/22   16:56
ソース
『bounce』 298号(2008/4/25)
テキスト
文/林 剛

急逝した生粋のソウル・シンガーを偲んで、メンフィス・ソウルに酔う


 メンフィスという街と、そこで誕生したソウル・ミュージックを愛した男が、2月下旬、この世に別れを告げた。ORITO──いまから15年ほど前、ただの旅行者としてロイヤル・レコーディング・スタジオの門を叩き、数年後にウィリー・ミッチェルのフル・プロデュースで『Soul Joint』(95年)というアルバムを作り上げてしまった日本人ソウル・シンガーである。以降は、ヒップホップやクラブ・ミュージックのシーンとも手を繋ぎつつ、ソウルにどっぷり浸かった日本人シンガーが日本語でどうR&Bを歌うかを模索。時には、憧れのアル・グリーンがそうであったようにゴスペルの世界にも身を寄せ、心に響く歌とは何かを追求した。昨年は“感謝の歌”“メイフィールド”を配信リリース。スタックス創立50周年などでメンフィス・ソウルに改めて注目が集まるなか、彼もふたたび……という矢先での旅立ちだった。享年43歳。

 それにしても人間臭いシンガーだったと思う。テクニックではなく歌ゴコロで聴かせるタイプの典型のような人だった。かつてアル・グリーンをしごき抜いたというウィリー・ミッチェルが惚れたのもそんな部分だったのだろう。そんなORITOがウィリーの目の前で初めて歌ったのはアレサ・フランクリンの“Ain't No Way”だったとされる。果たして彼は、ロイヤル・レコーディング・スタジオのすぐそばにアレサの生家があることを知っていたのだろうか。ともあれ、ソウルの女神は彼に微笑んだ。

 ウィリー・ミッチェルとの絡みから、常にアル・グリーンを引き合いにして語られてきたORITO。当初はそれが重圧にもなっていたようだが、泥臭いフィーリングを持ちながらモダンな雰囲気を感じさせるという点では、確かにアルを思わせるところがあった。また、アルのみならず、70年代以降のモダンなメンフィス・サウンドを纏ったシンガーたちと同じ匂いがORITOの音楽からは感じられた。〈遅れてやってきたメンフィス・ソウルのシンガー〉──いろいろと試行錯誤を重ねてきたけど、やっぱりORITOはそんな形容が似合うシンガーだったと思う。いつだって彼の心はメンフィスと繋がっていたのだ。

 例えばアル・グリーンを聴く時に、ふとORITOのことが頭のなかをよぎる。そう思わせてしまうだけでも彼の功績は大きかった。何度も歌ったはずの“Let's Stay Together”。ORITOがそれを歌うと〈俺の歌といっしょにいてくれ〉という感じにも聴こえた。そんなORITOを偲んで、今宵は70年代以降に南部で生まれたソウル・ミュージックを聴きながら〈ソウル・ジョイント〉しようではないか。
▼ORITOの作品を一部紹介。


99年作『LOST AND FOUND』(ビクター)

▼ORITOが客演した近年の作品を一部紹介。

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