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第21回――ジョージを巡って

連載
ロック! 年の差なんて
公開
2010/10/26   14:49
ソース
bounce 325号(2010年9月25日発行)
テキスト
協力/北爪啓之、冨田明宏


ロックに年の差はあるのだろうか? 都内某所の居酒屋で夜ごと繰り広げられる〈ロック世代間論争〉を実録してみたぞ!



僕は阿智本悟。東京は北区のサラリーマンだ。ロックの最新トレンドを追い続けながら、毎日退屈な仕事をやり過ごしているよ。でも今日はいつもと違った。というのも、珍しく社内で声を発したからだ。「すみません、すみません」って謝っただけだけどね。僕のことなんか普段は誰も相手にしないんだけど、今日は会社きってのキャリアウーマンで、これまで一切絡んだことのない小平マサコ部長から〈すれ違ったのに挨拶がない〉というたったそれだけの理由で、チビリそうになるほどこっぴどく叱られてしまった。クールに淡々と罵詈雑言を浴びせてくる部長の恐さといったら……。そんなこんなで、15時を回ったあたりから僕はボンゾさんのダミ声を恋しく感じていた。もちろん、退勤後はロック酒場〈居酒屋れいら〉に直行だよ。

阿智本「おいっす! ボンゾさん、梅割りとコンビー……えええええええええ!」

目の前にはあり得ない光景が広がっていた。なんと、僕にPTSD級の恐怖を植え付けた張本人がカウンターに座っているではないか! ボンゾさんは僕を見るなり足早に駆け寄ってきて小声で囁いた。

ボンゾ「阿智本ちゃん、遅いじゃないかよ~。あのモードなご婦人がいきなり〈お酒! それとなにか作りなさい!〉とか言いながら店に入ってきたんだ。それっきり一言もしゃべらずに前を向いたままで……。俺はマイナス50度の冷凍庫のなかにいるのかと思ったぜ」

困惑する僕たちの様子に気付いたのか、部長がゆっくりとこちらを見る。耳下で切り揃えられたボブヘアーは、まるで陶器のように無機質だ。

マサコ「あなたは……誰だったかしら? 見覚えがあるんだけど……」

スゴイ! あれだけ人に怒っておきながら覚えてないなんて!

マサコ「まあいいわ! ところでこの店はロック酒場よね? BGMすらないわけ?」

ボンゾ「ビクッ! ヘヘヘ、ございますよ~! では、われらがジョニー・ウィンター先生でも……」

マサコ「そんな不細工なロックなんて聴けないわ! これをかけてちょうだい!」

部長は固そうなレザーのバッグからCDを取り出し、ボンゾさんに押し付けた。

マサコ「ジョージ・マイケル『Faith』のリマスター盤よ! これにしなさい!」

ボンゾ「へい! ガッテン承知の助でぇ!」

意味不明なおどけ方をするボンゾさんが情けなくて仕方ない! スピーカーからは軽快なビートとポップなメロディーが溢れ出した。部長の眼鏡の奥がキラリと光る。

マサコ「リリースは87年! ワム!を解散したジョージがソロ・アーティストとしての道を歩き出した記念碑的な作品にして、彼の創造性が爆発した名盤よ!」

ボンゾ「あっしには気の抜けたブルーアイド・ソウルかアイドルのお遊戯AORにしか聴こえねえんでゲスがね……」

その言葉を聞くや否や、部長はカウンターに思いっきり拳を叩き付けた。

マサコ「なんなの? その自分の尺度でしか物を測れない老人評論家みたいなコメントは! 彼はそんな鋳型にはめたような解釈とは無縁の、厳然としたオリジナリティーを持った80年代屈指のポップ・アイコンよ! ワム!の甘さを放棄してストイックでビターなマイ・ソウルを追求した脱アイドル性こそが『Faith』の魅力じゃないの!」

ボンゾさんはなにも言葉を返せずに立ちすくんでいる。こんなに悲惨なボンゾさんを僕は初めて見たよ。

マサコ「しかも今回は貴重なアウトテイクやリミックスを大量追加した2枚組仕様でのリイシューよ! アナタ、嬉しくないの?……もういいわ! ところでお酒はまだ? ドライマティーニをちょうだい!」

ボンゾ「あいにくウチのカクテルは焼酎の梅割りだけで……。ウメエですよ!」

マサコ「ドライマティーニもないですって? まったく、ふざけた店ね!」

〈ふざけた店〉っていうのには激しく同意するけど、この雰囲気でドライマティーニを注文する部長もどうかしていると思う。

マサコ「もう結構! CDを返してちょうだい! 失礼するわ!」

そう言い残すと、わざとらしいほどヒールの音を立てながら〈れいら〉から出て行った。

ボンゾ「阿智本よ~、俺のロック人生って間違ってたのかなあ?」

僕は涙ぐむボンゾさんの肩を優しく叩き、店を後にした。あ~、部長の矛先が僕に向けられなくて救われたよ。



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