『ニクソン・イン・チャイナ』©Alastair Muir
今年1月の胡錦濤主席米国訪問の歓迎式典をCNNで見たが、いかにも出来の悪い〈パフォーマンス〉で興醒めした。胡主席とオバマ大統領が朝8時のワシントンの酷寒に耐えている姿は、とても米中両国のぽかぽかムードを〈演出〉しているとは言い難かったし、国賓歓迎の正式行事とは言え、独立戦争時の軍服を着衣した兵士たちの行進は、町おこしイベントのコスプレ大会を彷彿とさせた。政治が一種の〈ショー〉である以上、それにふさわしい〈舞台〉は確実に存在するが、選択を誤れば、文字通り〈茶番劇〉に終わってしまう。その点、『ニクソン・イン・チャイナ』のほうが二枚も三枚も上手だ。
ニクソン大統領中国訪問をオペラ化した『ニクソン・イン・チャイナ』が1987年に初演された時、人々はこれを〈CNNオペラ〉と呼んで驚嘆の声を上げた。それはそうだろう、ニクソンと妻のパット、毛沢東と妻の江青女史、キッシンジャー、周恩来という6人の主要キャラクターのうち、実に4人が初演時も存命中だったのだから。だが、初演から四半世紀が経過した今、作曲家アダムズと演出家セラーズが作品に込めた真の意図がようやく明らかになったと言ってよい。この作品は〈時事オペラ〉でも〈政治オペラ〉でもない。政治という〈舞台〉の上で生まれた〈神話〉の一断面を切り取り、そこに生きた人々の葛藤を描く、実に古典的なオペラなのだ。
まず、歌手の声域の選択からしてニクい。ニクソンがバリトン、毛沢東が性格テノール、パットがリリックソプラノで江青がコロラトゥーラソプラノ。これだけでアンサンブルの面白さが保障されたようなものだが、今、改めて感じるのは、この作品の真の主役が実は2人のファーストレディ=プリマドンナだということ、そして、その2人を軸とする音楽で、米中両国の文化ギャップの本質を抉り出そうという、アダムズとセラーズの驚嘆すべき発想である。
第2幕、中国各地を視察するパットがアメリカの善良を歌い上げるアリアのなんと夢幻的で儚いことか。アダムズが書いた音楽の中で、いや、過去30年に書かれたオペラすべての中で最も美しい旋律を持つこの1曲を聴くだけでも、本作を見る価値があると言ってよい。これと対をなすのが、江青女史がニクソン夫妻のために上演する劇中劇「紅色娘子軍」のバレエと、彼女が文革の意義を声高に――もちろんコロラトゥーラで――主張する強烈なアリアだ。
初演時にニクソン役を創唱したジェームズ・マッダレーナ、MET演出家デビューとなるセラーズ、そしてMET指揮者デビューとなるアダムズの3人がトリオを組み、万全の体制で上演される『ニクソン・イン・チャイナ』。中国では未だ上演・放送が認められていないというこの作品を映画館で気軽に見れる幸運に感謝しつつ、私たちはアダムズの原爆オペラ『ドクター・アトミック』がなぜ日本で上演不可能なのか、その理由を問わねばならないだろう。
METライブビューイング2010-2011
METライブビューイングとは?
世界最高峰のオペラハウス、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(MET)で行われている最新のオペラ公演が、世界各地の映画館(44カ国、1200ヶ所以上!)へ配信され、お近くの映画館の巨大スクリーンで楽しめるという新しいエンターテインメント。高品質なHD映像、METの技術を駆使した臨場感あふれるカメラ・ワーク、さらに5.1チャンネルの最新の音響設備によるダイナミックなサウンドを実現し、日本語字幕入りで上映!出演者やスタッフへの舞台裏でのライブ・インタビューや幕間に行なわれる大規模なステージ・セッティング変換の様子は、舞台の興奮と臨場感、トップ歌手たちの役に対する情熱、また、一流の舞台を作り上げる職人たちのパワーがダイレクトに伝わり、さらなる感動を呼びます。ジョン・アダムズ『ニクソン・イン・チャイナ』に続き、注目の新演出による、ワーグナー『ニーベルングの指環<序夜>《ワルキューレ》』6月までの演目も決定! http://www.shochiku.co.jp/met/