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クラムボン

連載
360°
公開
2011/05/20   21:47
更新
2011/05/20   21:47
ソース
bounce 330号 (2011年3月25日発行)
テキスト
文/岡村詩野

 

〈みんなの歌〉を紡ぎ続けるクラムボンというバンドを改めて紹介

 

 

このバンドの登場によって、音楽の聴き方がグンと広がったというリスナーはとても多いのではないだろうか。いや、彼らはミクスチャー・ロックのように最初からさまざまな要素を混在させようとしてスタートしたバンドではない。メジャー・フィールドのど真ん中で、無邪気に好きな音を鳴らし、それを多くの人々と共有しようとしているだけの、本当にささやかな願いに貫かれたバンドだ。だから、彼らの音楽は決して敷居が高くない。高い演奏力と知識の蓄積はあるものの、そこには必ず〈歌心〉があり、誰もが親しめる人懐っこさがあるのだ。いまでも覚えている、デビュー当時に取材で会った3人が口を揃えて言った言葉を。〈大事なのは、自分たちだけの歌を作ること〉——。

96年、専門学校で音楽の勉強をしていた原田郁子(ヴォーカル/キーボード)、ミト(ベース/ギター)、伊藤大助(ドラムス)によって結成されたクラムボン。まだメジャー・デビュー前の97年にリリースされたS-Kenプロデュースによるコンピ『Soup Up Vol.2』で聴ける“どれだけでも”“森渡り”という2曲、あるいは98年にインディーで発表したミニ・アルバム『くじらむぼん』には、そんな〈自分たちだけの歌〉に対する価値基準がすでにある。鼻から心地良く抜けるような原田のヴォーカルと、変拍子も難なくこなすミトと伊藤によるリズム・セクションが織り成す風景は、例えば亀田誠治がプロデュースしたシングル“サラウンド”(2001年)さながらに、一人からまた一人へと繋がり、広がっていくことを望んでいるかのように大らかな感触に包まれたものだ。そう、〈自分たちだけの歌〉であることは、同時に〈みんなの歌〉でもある。それが、クラムボンの哲学なのだろう。

 

 

実際、初作『JP』(99年)、2作目『まちわび まちさび』(2000年)、3作目『ドラマチック』(2001年)といった初期の作品からは、そうしたスタンスが起伏に富んだメロディーや温かな歌詞からダイレクトに伝わってきていた。だが、坂本美雨や田渕ひさ子らが参加したリアレンジ・アルバム『Re-clammbon』、マイス・パレードのアダム・ピアースとアイヴィのアンディ・チェイスが共同プロデュースとして関わった『id』を立て続けにリリースし、いまとなっては恒例の日比谷野外音楽堂でのライヴを最初に行った2002年あたりから、人脈も音作りの発想もさらに拡張。2003年にコロムビアへ移籍、事務所も立ち上げて、自分たちのイヴェントも企画するなど積極果敢に行動しつつ、ハナレグミやPolaris、ASA-CHANG、矢野顕子、益子樹、半野喜弘、toeといった幅広い仲間たちともさまざまな形で絆を結んでいく。また、シンガーとしてゲスト参加の依頼が後を絶たない原田はソロ名義やohanaなどで、また楽曲提供やプロデュースなどで引っ張りダコのミトはmicromicrophone、dot i/oなどの名義で、伊藤もLOTUS GUITARやThe Sun calls Starsなどのプロジェクトでそれぞれの資質を発揮。2009年以降は率先して配信で作品を発表するようなフットワークの軽さも見せている。

 

 

こうした風通しの良い活動に拍車がかかったのが、『id』以降、小淵沢のスタジオで作業をするようになってからなのは自他共に認めるところだろう。『imagination』(2003年)、『てん、』(2005年)、カヴァー集『LOVER ALBUM』(2006年)、『Musical』(2007年)、そして目下の最新作『2010』(2010年)と、小淵沢を制作拠点にしてからの作品は楽曲面でも演奏面でも工夫を凝らしたユニークなものばかりだ。それでいて、MCもそのままパッケージ化したライヴ盤『3 peace ~live at 百年蔵~』(2006年)のような作品を発表する包容力もある。

そんなクラムボンは、現在所属するコロムビアと古巣のワーナーからリスナーのインターネット投票によって選曲されたベスト・アルバムを発表する。どんなに激しいトライをしても、〈自分たちだけの歌=みんなの歌〉という哲学には一切ブレがない。そんな彼らの頑固だけど柔軟な姿をぜひ存分に感じ取ってもらいたい。