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第9回:イトウさん編

高校2年のときにアイドルオタクになろうと思った

連載
アイドルのいる暮らし
公開
2012/12/06   15:50
更新
2012/12/06   15:50
テキスト
文/岡田康宏(サポティスタ)


高校2年のときにアイドルオタクになろうと思った



おニャン子は好きだったけど、中学の頃はアイドルオタクだっていう自覚はなかった。中2の頃に『イカ天』がはじまって、それにめちゃめちゃ熱狂して。バンドブームだったし。おニャン子以降は、ほとんどアイドル聴いていなかったと思うんだよね。だけど、高校2年のときに、別冊宝島の『おたくの本』というのを偶然買って読んで。それで〈アイドリアン〉という人種がいるって知って、俺はこれになりたいと思ったの。

それは、いろいろなジャンルのオタクのことを紹介している本で、〈◯◯さんが今年1月1日から9月何日までに見たアイドルイベントの数は3百何十本。待て、1月から9月までの日数は2百何日しかないのに、なぜ3百ものイベントに行けるのか。それはハシゴというのがあって……〉みたいな話で始まって。それを読んで、かっこいいなと思ったんだよね。俺もイベントに行きまくって、ハシゴもして、アイドルを見まくりたいなと。その頃の自分は何者でもないから、何者かになりたかったんだろうね。もともとアイドルが好きだったのもあるし、なるんならアイドルオタクだなと。だから俺は高校2年生のときにアイドルオタクになろうと思ってなってるんだよね。

高校ではバスケットをやっていて、俺が2年のときに『スラムダンク』が始まったから、3年生5人、2年生8人の部活に1年生が50人も入ってきて。でも俺のひとつ下の学年が全国大会に行ったくらい強い学校だったから練習も厳しくて、半年で半分が辞めたね。毎日夜の8時まで練習で、終わってから古本屋に行って昔のアイドル雑誌を買いあさるという生活スタイルだった。3年のときは、部活内でも完全に〈アイドルオタの先輩〉っていう感じになってて、それだけで後輩にナメられて、全然敬語使われなかったなあ。部室のロッカーにQlairとかCoCoとか、アイドルのポスターを貼ってたけど、よく落書きされたりしてた。91年というのはもう〈アイドル冬の時代〉も最高潮の頃で、アイドルファンだというだけで犯罪者みたいに扱われてたね。あの時期のオタク差別は、今でもどこか引きずってるとこはある。

受験だからって理由で、高3の6月で部活を引退して時間もできたから、いよいよ本格的にイベントに行き始めるんだよね。ラジオの公録からスクールの発表会まで幅広く行ってた。ついに念願のハシゴが始まって。そのとき好きだったのは東京パフォーマンスドールで、まあ、TPDはアイドルじゃないって言ってたから違うのかもしれないけど、八木田麻衣がすごく好きだったなあ。それでその年、92年の夏にTPDが武道館でやることになって、それを見に行ったのが人生初の夜行バスで初めての東京。せっかく東京に行くんだからって、その当時よく投稿してた『投稿写真』という雑誌の、〈似な顔絵塾〉っていうアイドルの似顔絵のコーナーの塾長に、編集部に遊びに行きたい、という手紙を書いたら、「ぜひ!」って言われて。遊びに行ったら、塾長には会えなかったんだけど、編集長が相手してくれて。自分が送ったアイドルの似顔絵とか文章を丁寧に見てくれて、「来年、もし大学に受かって上京するならうちで働いてください」って言われたんだけど、結局浪人したからその話は流れちゃった。

『投稿写真』の存在はでかいんだよね。初めてイラストが載ったときは全然下手っぴなんだけど、すごい褒めてくれて。次の号でも載って、2回も載っちゃったと思ったら、その次の号でまた大きく載ってさ。〈愛知県、高校3年生、ペンネームPPPHさん〉って。それからガンガン載るようになって。93年の年間掲載ランキング4位とかになって。毎回、選評で褒めてくれるから調子に乗っちゃって。だって自分が一番好きな雑誌でそれだけ毎回褒められたら、夢中にもなるよね。描いているうちに多少絵も上手くなって、毎回、何枚も載るようになって、その頃はその投稿謝礼でイベントに行ってたからね。



アイドルとオタの関係というのは結婚も恋愛も超えている



20歳のときにアイドルを見るために上京したわけ。その頃は冬の時代でイベントも少ないし、オタの数も少ないから、どこへ行ってもほぼ同じメンバーがいるのね。毎週、都内でミニFMの公開放送をしている現場があって、愛知に住んでるときから、東京に行ったらあそこで毎週タダでアイドルが見られるって思ってたから熱心に通っていたの。

公開放送では金魚鉢みたいなスタジオの周りをファンが取り囲むような感じでいるんだけど、その集団からちょっと離れたところに、オシャレな集団がいたの。当時全盛の渋カジで、ニット帽かぶってて、スケボーとか持ってて超オシャレで、なんだろうなと思って。メンバーの友達か、下手すりゃ彼氏かなとか思ってたの。いつもいるんだけど、出待ちするわけでもなく、声援を送るわけでもなく、後ろからじーっと見ているだけ。俺はなるべく前の方で手を振ったり、フリートークに全力で相槌打ったり、一生懸命声援したりしてたから。

あるとき俺がそこでソニック・ユースのTシャツを着てたら、その中の一人に「ソニック・ユース、好きなの?」って話しかけられて。イベントが終わったら、ご飯行こうって誘われて。一緒にらんぷ亭に行って牛丼を食べたんだけど、食べながらそのアイドルの話になったから、「いつもいますけど、なんでいるんですか?」ってストレートに聞いたの。そしたら「いや、ファンだし、好きだよ」って。「じゃあ、なんで応援しないんですか?」って聞いたら「応援とかしたら、オタッキーと同じになっちゃうじゃん。オタッキーと一緒にされたら付き合えないでしょ」って。俺は、アイドルと付き合うとか、そういう発想が全くなかったからショックを受けて。俺はパンクが好きで、格好は若干そんな感じだったけど、家ではアイドルの名前をノートに書いて、その横に誕生日を書いて、チェックペンとチェックシートで暗記したりするような生活を送っているようなオタクだったから。

でも、その話を聞いて、そうか、よく考えたらその通りだなと。本当に好きなら最終点は付き合うってことだし、それならオタクみたいに写真を撮ったり、声援したり、手を振ったりするのは完全に真逆だって思って。で、結局そいつらとつるむようになって、初めて原宿に連れて行ってもらったり、古着屋というものの存在を教えてもらったり。現場でも、うしろの方で腕組みしながら黙って見るようになったの。当時、自分はすごく好きなアイドルがいたんだけど、その子の前では手拍子すらしないで、ちょっとクールな感じで前髪気にしながら見るようになったのね。でも、性根が激しくオタだから(笑)、すごいストレスが溜まって、声を出したくて仕方なくなるわけ。

それでどうしたかというと、その一番好きな子とは別の現場で、そんなに好きじゃなかった別の子をめちゃめちゃ熱心に応援し始めたの。本命の子にはすごいクールに、カッコつけて接するんだけど、その子には大声で声援を送って、握手会でも変な冗談とか言いまくって、全力でバイバイとかして、本来のオタとしてのスタイル丸出しでいって。そしたら、ある日、その本命とは別の子から家に電話がかかってきて、「もしもし、○○です。いつもすごく応援してくださってますよね」「はい」「気になっているので、一度会ってお食事とかしたいんですけど」って。で、付き合っちゃったんだよね(笑)。本当に付き合いたくてカッコつけて見てた本命からは、当然音沙汰無し。俺の友達がその子と仲の良いアイドルに電話番号の入った手紙を渡してて、そいつのところに最初は連絡が来て、そこで俺の番号を聞いて、電話してきてくれたんだって。

彼女とは3ヶ月くらい付き合ったけど、初彼女だし、当然童貞だったからCはできず(笑)がんばってA、Bくらいまで。前日にデートして、翌日にステージを見たときなんかは、すごい変な感じだった。さっき言ったような、本人を知って曲が良くなるなんてことは微塵もなくて。後ろめたいような、自分も相手もウソをついているような感じで全然良く聞こえなかった。ステージを見ても、さすがにもう応援もできないし、当時一緒に見てた、付き合ってることを知ってる友達からも「もうイトウくんとは見たくない」って言われて、孤立して現場にも行けなくなって。まあ、当然だよね。それがオタとして最初の挫折。アイドルオタとしてガンガン行きたいと思っていて、誰も到達していないところに一足先にたどり着いたつもりだったんだけど、そこはゴールじゃなかったんだよね。で、延々と回り道をして、ももクロのはるえ商店で、ここがゴールだなって思った。俺が来ていなかったことを家で話題にしてくれている。些細なことだけど、ここがゴールだなって、そう思えたんだよね。アイドルとオタの関係というのは結婚も恋愛も超越してるから。



本気で見ないと楽しくない



うちの奥さんはももクロが好きだったの。ももクロが好きでお店に来てくれて、手も繋いでいない状態でプロポーズして、その4ヶ月後に籍を入れた。初めてお店に来たのは11年の1月。それから、よくお店に来てくれるようになって。震災が起きたあと、彼女は九州に避難してて、そのときにメールでずっとやり取りをして。忘れもしない、ももクロの中野サンプラザの日、2011年の4月10日に彼女が東京に戻ってきたの。偶然だけどその10日後に中野サンプラザの前でプロポーズして、8月8日に結婚。12月に妊娠が分かって、今年の8月19日に子供ができました。

ちょうど娘が生まれて3日めくらいに新宿のタワレコで、たまたまlyrical schoolのイベントを見たんだけど、見ていたら涙が止まらなくなっちゃってさ。自分の娘も18年くらいしたら、こんなふうに客を煽ったり、おもしろいことを言おうとして失敗したりするんだ、女の子って将来こうなるんだって思ったら涙が止まらなくなっちゃって。ああ、これが親目線かと。みんなよくアイドルを親目線で見ているなんて言うけれど、あれは全部ウソだなって思った(笑)。娘ができて初めて、本当の親目線っていうのが理解できて。女の子の命が躍動している感じに感動しちゃったんだよね。もうほんとうに涙が止まらなくて。だから子供がいないオタが親目線っていうのは全部ウソ。俺だけが本当だよ(笑)。

いま、アイドルオタのカジュアル化がめちゃめちゃ進んでるじゃん。俺は高校も男子校で女子としゃべったこともなかったし、昔はオタに彼女がいるなんて有り得ないことだったけど、いまは現場にオシャレな人がいるのなんて当たり前だし、その人に彼女がいても普通だし、なんならその彼女と一緒に来てたりするでしょう。よくそういう人たちが「アイドルと彼女に対する気持ちは違う」っていうけれど、あれも実は全部ウソだから。俺は昔から、ガチ恋とかそうじゃないとかじゃなくて、全部が全部本気。今の奥さんと結婚したのもももクロが終わってしばらくしてからだし。でもそういうふうに見ないとアイドルっておもしろくないと思うんだよね。本気で見ないと楽しくないじゃん。俺はもう引退した気持ちでいるけどね。


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